気持ちの問題  55 自分が生まれ育った土地への思い

分娩施設で働いていると、時々、「〇〇ちゃんはここで生まれたんだよ」という会話に遭遇します。

もちろん、その子は全く記憶がないのですが。

幸いにして、私が生まれた病院もまだ都内にあります。いつか、その前まで行ってみようと思いながらなかなか機会がないのですけれど。

 

私も生まれた病院近辺の記憶は全くないのですが、3歳ぐらいまで過ごした祖母の家の周辺のことは断片的に記憶があります。

ところが、その後は父が転勤族だったので、2〜3年毎に引っ越しました。

小学生から高校生までは同じ地域内での引っ越しでしたが、それでも住む場所が変わるということは、また生活も変化します。

 

成人してからも、どちらかというと同じ場所に住み続けることのほうが落ち着かなくて、2〜3年とか数年で住む場所を変えていました。

今は同じ地域に30年ぐらい住んでいますから、私の人生で最も長く住んでいる地域です。

遠出をして戻ってくるとホッとするのですが、では「故郷」かというと、私には故郷を懐かしむような感覚はあまりなくて、そのことにもあまり執着もないという感じです。

一生、転々としても、きっと住めば都という気持ちになるだろうと。

 

ですから、私には子どもの頃から同じ場所でずっと生活しているという経験がないので、「生まれ育った土地への強い思い」という気持ちは正直なところ、あまり理解できていないのです。

 

*思い出させることはよいのだろうか*

 

昨年の水害以来、倉敷周辺のことを知りたくなって母のところへ面会に行くたびに、祖父母の田んぼの歴史を聞き出そうとしていたのですが、母は「忘れた」ということが多く、記憶が曖昧になったのか思い出すのが面倒なのかと思っていました。

 

11月に、岡山を訪ねた時に、私自身、予想以上に郷愁とでもいうのでしょうか、懐かしさでいっぱいになりました。子どもの頃にたまに遊びに行っていただけなのですけれど。

 

そうだ、母は少なくとも20歳になる頃まで、ここで生まれここで生活していたのだ。転々としてきた私とは違って、ここが故郷なのだろうと思い至りました。

もしかしたら、「忘れた」のではなく思い出さないようにしているかもしれないし、私が干拓の歴史を知りたくて質問攻めにすることも、辛いかもしれません。

母にとっては、もう二度と見ることができない風景ですから。

 

認知症に限らず、思い出させることがよいかどうかそれぞれの思いがあり、思い出さないようにしながら心の均衡を保っていることがあるのかもしれないですね。

 

倉敷と岡山を訪ねる前には、母に岡山からお土産を送ろうと思っていたのですが止めました。

今も、私が倉敷に行ったことは内緒にしています。

その代わり、都内にある岡山のアンテナショップで母の好きなお菓子や食品を買って、面会の時に持って行きました。

 

「生まれ育った土地への思い」にはドライな私ですが、あと10年、20年と経つうちにどう変化することでしょうか。

 

 

 

「気持ちの問題」まとめはこちら