上野動物園での楽しみは、不忍池を眺めて定点観測をするという口実でビールを楽しむことです。
先日も本郷台地を歩く前に、風がやんで陽だまりは暖かかったのでしばしの休憩をしました。
午後2時ごろです。
何度かこの時期のこの時間にも来ているのですが、何となくいつもと違うような気がしました。
1月に入ると少しずつ陽が長くなるので、この時間帯の不忍池は晴れた日は明るく暖かく感じられていました。
違和感の理由は、不忍通り沿いに建設中の高層マンションでした。不忍通り沿いは、それなりに高いビルがあるのですが、そのマンションは36階と群を抜いています。
それが、午後の不忍池に入る日差しに影響していたようです。
今までの日照時間とどれくらい異なるかとか、どれだけ水温などが変化するかなど詳しいことはわからないし、不忍池周辺の生物への影響もどんなことがあるのかなど専門的なことは全くわからないので、「カワウも寒そう」「蓮も日当たりが悪そう」と勝手に気持ちを想像したのでした。
ほんとは、日差しを遮られた私が寒かったのですけれどね。
*摩天楼の記憶*
今でこそ豊洲や武蔵小杉とか高層マンション群があちこちにできたので驚かなくなりましたが、1970年代に淀橋浄水場跡に高層ビルが建ちはじめた時代には、「摩天楼=天に届かんばかりの建物」でした。
それでも、47階の京王プラザホテルを除けばオフィスビルだったので、高いところに居住するわけではありませんでした。
あの頃は、10階建くらいのマンションでも「高いところに住む」イメージでした。
1980年代末、私にとっての「不忍池付近の高いビル」といえば池の端文化センターですが、7階建だったようです。
思えば遠くへ来たものです。
高層ビルについて検索していたら、「高さ制限とまちづくり」(大澤昭彦氏著、学芸出版、2014年)の「序 なぜ高さ制限は必要か」が公開されていて、共同住宅の高層化が数値で表されていました。
6階以上の共同住宅は、1968(昭和43)年時点では5万100戸、共同住宅全体の1.1%に過ぎなかった(図1)。その40年後の2008年時には約674万9000戸にまで増加し、全共同住宅数に占める割合も約33%にまで達した。特に近年は、15階以上のものが占める割合の伸びが著しい。1994年に建築された共同住宅のうち15階以上のものは0.9%に過ぎなかったが、2008年には10.4%にまで増加している(図2)。企業の資産整理や相続等により、高層マンションの種地となる建設用地は産業・業務地、住宅地を問わず、今後も増えていくと見られる。
高層ビルや高層マンションがある場所もそれなりにおもしろい風景だと思うのですが、最近、あちこちを散歩するようになって「唐突感」を感じる風景が気になっていました。それが何かなのか、言葉にならないもどかしさがあったのですが、この公開されている序章で、ああ、これだと思う箇所がありました。
むしろ、都市の方向性を見据えた上で、高層化を図る場所と抑える場所のメリハリをつけることを通じて、都市の質と価値を維持、向上させることに注力すべき時期にきているのではないだろうか。
そして、ヒトだけでなくいろいろな動植物も生活していることに目を向けると、半世紀後、一世紀後にも通用する落ちついた街並みになるような気がするのですが。
「10年ひとむかし」まとめはこちら。