最近、ちょっと気になっています。
「自分は」と、話し言葉や文章に使う人がちらほらといることに。
違和感を少し感じる反面、悪くはないかなと思っています。
私にとっては、「自分は」と自身のことを表現する人というのは、警察や自衛官など集団の訓練の中で身につけた人たちのイメージがありました。
そういう厳しい規律が求められる集団の仕事では、「私」というプライベートな感覚が感じられる言葉は使いずらいのかなと勝手に想像していました。
日本語のふだんの会話というのは主語がないことが多く、「私は」を入れると強い主張をしているような印象になるのか「私たち」で主語がぼかされることがままあるようです。
日本語というのは会話にしても文章にしても主語がわかりにくいなと感じ始めると、「そう思ったのは誰なのか」「誰がそう考えたのか」が気になってしまいます。
まあ、私もふだんの会話では「私は」「私は」と主語から話し始めることはを少ないのですが。
なんとなく日本語というのは、個としての私を表現するのになじまない言語だなあと
その点、「私は」に比べると、「自分は」の方が少しだけ引きつつも主語を表した印象になるのかもしれませんね。
「私はこう考える」と表現できる人たちが増えてきたのかなと、また10年後20年後の変化が楽しみです。
「存在する」まとめはこちら。