助産師の歴史 6 「3つの負の出来事」

日本助産師会発行の「平成の助産師革命」は、部外者からみると何が変革されたのかがあまりよくわからない内容でしたが、第5章「本会の最近20年間の発展」に「3つの負の出来事」がありました。

平成7(1995)年4月より平成29(2017)年度総会までの22年間の私の本会での活動に対するご支援に心から感謝したい。

今までの追記として、本会関連の大きな出来事が3つある。1つ目は、平成11〜12年頃に社会を賑わせた、育児文化研究所による新生児死亡等の事故に関連した問題である。2つ目は、ホメオパシーによるビタミンK投与がなされず、その児が数ヶ月後に脳出血で死亡するという、本会の開業助産師が関わった事故である。そして3つ目は、本会の出来事ではないけれど、助産師にとって重要な法律である母体保護法関連第39条の事項である。 

 

助産師会の政治的な動向を意識せざるを得なくなってからのこの10数年を思い返すと、意識的に「あのこと」に触れないでいるのかもしれません。

そこが真っ先に気になりました。

 

琴子ちゃんがなぜ亡くなったかその事実よりも、助産所で取り扱ってはいけないお産や判断の遅れなど利用者側からの問い合わせに対応するための安全対策室という窓口を閉ざしたことが、この組織にとって最も大きな負の財産ではないかと私には思えます。

それなのに、助産所の安全なお産のために「助産所ガイドライン」を作成したことは、「最近の20年間の会のプラス面の発展の出来事」に入れられているところが、なんとも。

 

その安全対策がどのような失敗からの教訓なのかを明らかにし、事故を起こした会員を除名処分にしたり個人の責任にするのではなく再発防止策をたてることが本来のリスクマネージメントであり、そういう考え方が理解されていないのかもしれませんね。

 

*「分娩の専門家」の時代の変化を見誤った*

1つ目の「育児文化研究所」について以下のように書かれていました。

1.「育児文化研究所」の専門家立会い無し分娩の問題

 

平成11(1999)〜12(2000)年頃、育児文化研究所(ベビーネンネというおおむつ販売会社が併設、独自の胎教、専門家の立会い無し分娩を推奨。谷口裕司所長)の分娩にまつわる事故が相次ぎ、社会問題となった。

 

育児文化研究所は、胎教を中心にしたセミナーを全国的に実施していた。問題は、専門家が立ち会わない、夫婦だけの分娩を推奨していた点にある。そのため、骨盤位分娩の事故による新生児死亡、重篤な感染による新生児死亡、母体の大出血等、母子の生命に関わる事故が発生していた。これがマスコミに大きく取り上げられ、開業助産師は児娩出後に呼ばれることがあり、巻き込まれることがあった。同研究所は24時間風呂の水中分娩も推奨しており、レジオネラ菌による感染症が問題視された。 

 たしかに突然呼び出された助産所のスタッフにしてみれば「巻き込まれた」ということになるのでしょうが、「正常なお産は助産師の手で」「ほとんどのお産は正常に終わる」とか「女性には産む力がある。赤ちゃんには生まれる力がある」といったファンタジーというかプロパガンダを耳にしてしまえば、「分娩は母子二人の救命救急」と学んだ助産師だって信じたくなるのですからね。

 

「分娩の専門家」とは医師だけでも助産師だけでもなく、周産期のさまざまな職種によって構成されるようになった変化を見誤ってしまったあの時代の雰囲気にあらがえなかったことも、負の遺産ではないでしょうか。

 

後日、もう少し続きます。

 

 

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