助産師の歴史  8   新しい酒は新しい皮袋に盛れ

平成は30年間と数ヶ月あるので、その長さの時間とは社会をいろいろと変化させるものだと思い返しています。

 

医療の世界に関わって10年ほどで、平成になりました。

それからの30年間を思い返すと、私の中で仕事に向き合う上で大きな変化が3つほどありました。それが医療安全とかリスクマネージメント根拠に基づく医療とかエビデンス、そしてインフォームド・コンセントとか接遇で、それらの言葉が90年代に入って広がりました。

 

リスクマネージメントは現実に自分自身の行動が目の前の患者さんや妊産婦さん・新生児の命に直結する重要なことでしたから、緊迫感を持ってすぐに受け入れられました。

 

エビデンス」というのは、90年代当時は根拠になりそうな文献を集めて、「今自分たちが良いと思って実施していることの根拠にする」というむしろ反対の意味で受け入れていたのかもしれません。

「接遇」にいたっては、「医療はサービス業かそうでないか」の議論に翻弄されていた印象で、その根底にあるパターナリズムから抜け出すことはまだ見えていませんでした。

 

この3つが失敗学とつながって理解しはじめたのが、ニセ科学の議論に出会ってからというのも皮肉な話ですが。

 

生まれた時あるいは医療の世界に入った時にはすでにこの3つが存在していた人たちにすれば空気のように当たり前の考え方かもしれませんが、90年代というのは近代医学の中でも、後世では「近代医学前期と後期」に分類されるかのように、大きく変化した時代かもしれません。

 

前回の記事で同じ助産師なのに違う「助産師の世界」があるかのように感じてしまう理由の一つに、この90年代の変化が実践的に理解された人なのかどうかというあたりかもしれません。

もちろん、助産関係の書物でも「エビデンス」「リスクマネージメント」という言葉はあちこちに使われているのですが、その同じ本の中で「正常なお産は助産師だけで」と言った表現がためらいもなく使われていると、ああ、という感じ。

 

古い皮袋に新しいぶどう酒(言葉)を入れている側が「革命」という言葉を使い、「病院で医師の言われるままにお産をとっている自律していない助産師」といわれた側が粛々と変化を受け入れて、その新しい言葉を実践していることに気づいていない。

 

その30年間の隔たりは大きく、それがこちらとあちらの「助産師の世界の差」なのかもしれません。

 

 

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