散歩をするようになってここ3年ほど、次にどこにいこうかと候補地を書いたメモを作っていました。
最初の頃は、所要時間2〜3時間ぐらいの近場の散歩だったのですが、つくばに行ったあたりから日帰りの小旅行になり、昨年岡山へ行ったあとは一泊二日で行けそうな計画も、そのメモに書き込まれるようになりました。
ただ、やはり交通費や宿泊費を考えるとそうそうは行けないのですけれど。
昨年末から1月にかけて房総半島を回ったあと、そのメモ帳はノートに変わりました。
行ってみたい場所をまず覚え書きのように書き、だんだんと現実的になったらルートや列車やバスの時刻表を写して少しずつ準備を始めます。
何度も地図を見直しているうちに最初の計画とはまた違ったルートが浮かんできて、どちらにしようかというのも楽しい悩みです。
房総半島を回ったあとに、次に行きたい場所は紀伊半島でした。
安房勝浦といえば那智勝浦が思い浮かぶように、関連があることが想像できる地名や似たような地形に、たしか小学校の頃だったか「黒潮に乗って紀伊半島の漁師さんたちが移住した」ような話を聞いた記憶があります。
その歴史はどうなのでしょうか。
「新宮ネット」というサイトの「和歌山・千葉両県に共通する地名」にこう説明されていました。
房総半島に「勝浦」や「白浜 」という地名を見つけると、懐かしく思う紀州人は多いと思います。和歌山・千葉両県の海岸地方には同一の地名がたくさんあります。
これは、ただの偶然の一致ではなく、千葉県と和歌山との歴史上の繋がりを示すものです。古くは、日本の歴史の中でいち早く漁業を発展させた紀州人が黒潮に乗って房総へ移住し、イワシ漁など千葉県の漁業の発展に寄与しました。
また、醤油発祥の地といわれる紀州・湯浅から浜口儀兵衛が下総・銚子に進出し、関東で初めての醤油製造を始めた(現ヤマサ醤油)などの歴史があります。
月並みな言葉なのですが、国境のない海を行き来していた時代を想像するだけで歴史の壮大さに圧倒されそうです。
そのサイトには共通した地名の一覧表があって参考になりましたが、ほんとうに房総の地名が興味深いように、紀伊半島でも「周参見(すさみ)」とか「見老津(みろづ)」のように、読めないし地形も想像できない地名があるのも似ていますね。
紀伊半島、行きたいけれど遠いなあ、でもいつかはと思ってノートに書き込んだのでした。
まさか、こんなに早く実現するとは。
行ってきました。ただひたすら川と海、そして漁港を眺めに行きました。
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