10年ひとむかし 46 杉と花粉症

毎年のように、「今年は花粉症から解放されたかもしれない」とかすかな期待を抱くのですが、やっぱりシーズンが来ました。

昨年もやはりちょっと期待していたのに、3月下旬になってヒノキで一気に悪化したのでした。今年も早めに、私の場合1月に入ると杉の花粉を感じるので1月に受診したところ、「予防的に飲まなくても、症状が出てからで大丈夫です」と言われました。以前は、症状が出る前、1〜2週間前から内服開始を勧められていたのですが、花粉症治療のガイドラインが変わったのでしょうか。

 

今年はさらに2月に杉の名産地に乗り込むという無謀なことを実行したので、出発前には薬も準備し、戦々恐々として出かけたのでした。

ところが全く平気だったので、今年こそはもう大丈夫かもしれないと思ったら、この日曜日から発症しました。月曜日は耳鼻科がとても混んでいて、先生曰く、「雨の後で飛散量が一気に多くなったのでしょう」とのこと。

 

*花粉症という言葉が広がったのはいつ頃か*

こちらの記事に書いたように、1970年代から80年代初頭は医療従事者でもまだアレルギーについてはわずかな知識しかない時代だったと思い返しています。

花粉症という言葉も教科書で使われていたかどうか。

 

私はむしろ、英語の「hey fever」を先に覚えた記憶があります。というのも、難民キャンプで一緒に働いていたニュージーランド出身の医師からその言葉を聞いたのでした。

「hey fever」、日本だったら何になるのだろうと、当時の辞書を引いたら「白樺などに反応する」とあって、じゃあ北海道とか寒冷地の病気なのかなと思っていました。

まさか、その10年後には自分の身に起こるとは。

でもしばらくは花粉症だとは認めたくなくて、あれこれと民間療法的なものでなんとかしようとしていました。知人が受診して劇的に楽になったという話を聞いても、認めたくなかったのですね、花粉症になったという事実を。

 

それと、当時から杉花粉症は大気汚染などの複合的な要因で発症することは言われていましたが、なぜむしろ公害などが改善されて来た80年代から90年代の方が患者数が増えたのだろうと疑問に思っていました。

あるいは杉や檜の植林地では患者数が多いのだろうかと疑問を感じつつ、そのままにしていました。

 

紀伊半島から戻って来て検索したら、2011年に林野庁から出された「スギの花粉の生産量」という資料が公開されていました。

その「スギの花粉の生産量」では、以下のように説明されています。

スギが本格的に花粉を作るのは、早い場合で25年生前後、通常は30年生程度から。 

 

Wikipediaスギ花粉症では「日本で1960年頃からスギ花粉症が急増した原因としては、農林水産省が推奨して来た大規模スギ植林が主に挙げられている」と書かれていますが、実際には1960年代から急増したのではなくて、花粉の生産量が増える樹齢に達した1980年代から90年代頃に花粉症が急増するというタイムラグがあったのではないかと、私自身の記憶を辿っているのですがどうなのでしょうか。

 

林野庁のその資料では「花粉症の有病率は29.8%」とありますが、私が発症した1990年代はまだ数十人にひとりくらいの感じでした。

また「有病率は、特に都市部において高くなる傾向」とあるので、スギ花粉が原因ではあるけれど「スギ憎し」「スギをなくせ」だけでもなさそうですね。

 

もうひとつ林野庁から出されていた「平成25年度森林および林業の傾向」(2013年)の「我が国の森林整備を巡る歴史」を読むと、やはり荒廃した山による洪水に対応するために早く成長するスギやヒノキが選択されたことなどが書かれていました。

 

現在の私たちの生活が半世紀後、一世紀後にさまざまな影響を与えるということを花粉症の歴史から学ぶことができると思うのですが、ではいったい何をどうしたら良いかとなると難しいですね。

10年後でさえも、想像がつきません。

 

 

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