「授乳・離乳の支援ガイド」のあれこれ 3 災害という視点が明記された

「授乳・離乳の支援ガイド」の改訂版(案)を読んで、その行間に12年間の変化をいろいろと感じましたが、新たに明文化されたものがありました。

 

「授乳および離乳に関する動向」の中に「災害時における妊産婦および乳幼児等に対する支援の現状」(p.4)です。

我が国は、諸外国に比べて台風、大雨、大雪、洪水、土砂災害、地震津波、火山噴火などの自然災害が発生しやすい国である。 

厚生労働省においては、災害が発生した場合、保健師助産師、管理栄養士等の専門職が、避難所等で生活している妊産婦及び乳幼児を支援する際のポイントを整理して自治体に周知を行っている。

災害時の授乳及び離乳に関する支援については、発災時のみでなく、災害が起こる前の取組として母子保健事業等の機会を活用し、妊産婦及び乳幼児のいる家庭に対し、災害に備え、備蓄の用意に関する周知が重要である。

(強調は引用者による)

 

「避難所等で生活している妊産婦及び乳幼児等を支援する際のポイント」として以下の項目が挙げられていました。

①妊産婦、乳幼児の所在を把握する。

② 要援助者として生活環境の確保、情報伝達、食料、水の配布等に配慮する。

③健康と生活への支援

④妊婦健診や出産予定施設の把握をし、必要に応じて調整をする。

⑤乳幼児の保健・医療サービス利用状況の把握と支援。

⑥気をつけたい症状

⑦災害による生活の変化と対策について

⑧その他

 

*同じような災害でも、被害の状況はさまざま *

 

「我が国は、諸外国に比べて台風、大雨、大雪、洪水、土砂災害、地震津波、火山噴火などの自然災害が発生しやすい国である」

そして、災害の種類によるだけでなく、地域によっても同じ災害でも被害は多岐多様に現れることがあることを、これまでの災害の記録を読むことで学ぶことが多々あります。

 

ちょうど 今、もう一冊の熊野誌を読んでいます。

「第五十三号 地震特集」です。

 昭和19年12月7日午後1時36分ごろ、東南海大地震 (推定M8.0)が発生し、津波熊野灘各地に襲来、大きな被害を出しました。2年後の昭和21年12月21日午前4時20分ごろ、今度は南海道地震(M8.1)が起こり前回被害のあまりなかった新宮市の中心部が大火災で消失し、沿岸各地にまたも津波が押し寄せました。

 

同じ程度の地震ですが、最初の地震では浮島の森のあたりは液状化現象で水浸しになったところが多かったようです。そして2年後の地震の時には火災が発生し、当時は延焼を防ぐためにあえて建物を爆破させたりしていたようで、それがかえって火災をひろげたような話が書かれていました。そしてその火災と、やはり液状化現象で浮島のあたりの住宅地は広い池ができたようになっていたそうです。

 

また、あの南紀地方の複雑な地形で、津波の被害が大きかったところもあれば、同じような川筋の街でも津波もなく地震の被害がそれほど大きくなかった地域もあるようです。

当時、情報を伝える手段が限られていた状況で、ほかの地域で津波があったことを知らなかった方もいたようです。

 

こうした災害の記録を読むと、同じような災害でも、被害やその後の復興までは同じ状況というのは一つもないと改めて思います。

 

*平時の信念は脇に置いて、ありのままを記録する*

 

こうした災害の時に、妊産婦さんや乳幼児はどうしていたのだろう。

なかなかそういう事実を見つけることができないままです。

きっと、必死でなんとかやりくりして生き延びるしかない状況で、当事者がそれを記録に残すというのはよほどなことがないとしないことなのかもしれません。

 

今後は、災害時の「授乳・離乳の支援」についても、状況をありのままに記録していく訓練を受けた人たちによって問題が把握され、それに基づいた支援になるといいですね。信念に基づいた支援になってしまわないように。

 

今回、明文化されたのはその一歩になるのではないかと期待しています。

 

 

「授乳・離乳の支援ガイド」のあれこれのまとめはこちら

「災害時の分娩施設での対応を考える」まとめはこちら