掛川城と逆川を中心にして、きっと一日中歩き回っても面白い地形だろうと思いましたが、せっかく遠出をするので欲張って川や海も回ってみたいしと、あれこれ悩みました。
その日は掛川から天浜線に乗り、天竜川の大きく蛇行した部分を見て浜松へ出て、それから東海道本線に乗ることにしました。
東海道新幹線ができる前、まだ幼児だった1960年代半ばごろに、祖父母のいる倉敷へ行くために東海道本線を乗り継いで行った記憶があります。
静岡県内の東海道本線と新幹線のルートは一部重なり合っているのですが、清水あたりから三島までは、東海道本線は新幹線とは離れて、ずっと海沿いを走ります。これで海も川もゆっくり見ることができそうです。新幹線だと、ほんと瞬きもできない早さで通過してしまうので。
静岡県というと「駿河」なのですが、掛川に行ってみて、そうだ、駿河だけでなく遠州もあったと、たぶん中学生の頃に習った歴史が思い出されました。
地図を見ても城跡があちこちにあって、天浜線のあたりはどんな風景なのだろうと興味が湧きました。
平日のお昼頃でしたが、掛川駅を出発した天竜浜名湖線は地元のかたや高校生、観光客が次々と乗り込んでいっぱいになっていました。
車窓から見る風景は、早春の草花が咲き始めたこともあって、ちょっと桃源郷のようです。
それほど急峻ではない山々と扇状地が次々とあらわれて、広い田畑を中心に町があり、祖父母の地域と重なるような風景です。
木材の産地だけあって、天浜線の無人駅にも素敵な木のベンチが並んでいました。
*天竜川を渡る*
天竜二俣駅で列車を乗り換えると、じきに天竜川の鉄橋に差し掛かります。
鉄橋が近づいてきたので写真を撮ろうと構えていると、あっという間に対岸につきそうな距離でした。
あわてて山側を見ると、下流とは全く違う細く蛇行した川の風景でした。あの熊野川の河口のようです。
天竜川といえば佐久間ダム、というのが子どもの頃からの知識でした。
当時は高度成長期でしたから、洪水対策というよりも電源開発のためのダムとして覚えたのでした。
今回、行く前に地図を眺めていて、改めて天竜川の流れ方に驚きました。ちょうど天浜線の鉄橋がある部分から河口へはまっすぐ広い河道が遠州灘に向かって描かれています。
鉄橋があるあたりの大きく蛇行したところから上流へは、何度も何度も細い川が蛇行しています。急峻な山の合間を流れていることが想像できます。
水源はどこだったかと辿っていくと、なんと諏訪湖でした。
帰宅してから改めてWikipediaの説明を読み、治水の歴史に圧倒されています。
東海道新幹線や東海道本線で通過する天竜川の風景からは、想像ができないものでした。
地図で大きく蛇行するところに惹きつけられるように天浜線に乗ってみたのですが、いつかこの遠州の治水の歴史も辿ってみたいと、新たな課題ができました。
西鹿島で遠州鉄道に乗り換え、浜松から東海道本線で駿河の国へ向かいました。
もう少し続きます。
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