日帰りや一泊であちこちに出かけているのですが、訪れた場所にはだいたい観光協会の事務所があることに驚いています。
地図を見ても、大きな駅のそばには必ずといってよいほど事務所があります。
私は事前にだいたいのルートは決めて行くものの、行き当たりばったりも好きなので、ふらりと立ち寄って地図をもらうこともしばしばあります。
この地図がまた、その地域の特色がわかるようなものがあって見るだけでも楽しいものです。
また、最近では目的別の散歩コースを示した地図が増えて、歩くために役立っていますし、ネットやガイドブックでは知ることができなかったような情報もあって、地元ならではの細やかさだと感心しています。
最近では、ジオパーク的な情報もあったり、「観光」というよりはその地域の総合学習的なものもあって、訪れる目的もいろいろなのかもしれませんね。
そして外国からの旅行者にも、多言語で対応しているところもあります。
ただ、私自身はあちこちを訪れても、それ自体は「観光」というものではなくて、どちらかというと「見学」に近い感じです。
あるいはこちらの記事に「貧困・人権問題あるいは開発・環境問題を他の国の人に知ってもらうために、exposureという方法がありました」と書いたのですが、その「触れる、身をさらす」というニュアンスが、私の散歩には今だにどこか残っています。
*観光という言葉の変化*
観光の「日本における『観光』」を読むと、大正時代にtourismの訳語として定着したが定義は定まらないまま昭和初期に国際観光局が設置され、そして今に至っているのかもしれません。
政府の観光政策審議会の「今後の観光政策の基本的な方向について」(答申第39号、1995年6月2日)では、観光の定義を「余暇時間の中で、日常生活圏を離れて行うさまざまな活動であって、触れ合い、学び、遊ぶということを目的とするもの」とし、「時間」、「場所・空間」、「目的」の3つの面から規定している。
たしかに日常生活圏を離れることが多いけれど、私の中ではふだん歩いている場所を別の道を通ってみることも同じくらい楽しく意味がありますから、観光と散歩の境界はとても曖昧です。
観光と一口では言い表わせないほど、楽しみ方や目的がひとそれぞれの時代になったのかもしれないと、観光協会の事務所を見るたびに思うのです。
「10年ひとむかし」まとめはこちら。