競泳日本選手権が4月2日から開かれています。
年々、開催期間が長期化する中で、今年は8日までの7日間と記憶する中では最長です。しかも開催時間が16時からと早いので、休みか夜勤明けの日にしか観に行けなくてちょっと残念です。
競泳の場合、NHKが全日程を放送してくれているので、行けない日には録画を観ることができてありがたいのですが、それでもやはり会場での観戦は、楽しいものです。
なんといってもやはり、競技前のアップの様子を観ることができることです。
20〜30人ぐらいの選手が一斉にアップをしているなかで、最近はそのなかでもさらに達人級の選手をパッと見つけることができるようになりました。
先日も、ふと目がいった選手が大橋悠依選手でした。
ふわっと抵抗のない泳ぎ方にまず目が行って、しばらくして大橋悠依選手だと気づきました。
言葉に表現するのは難しいのですが、アップの時にも練習で積み上げてきた泳ぎの技術の差が見えるかのようです。
*抵抗のない泳ぎに効果のある薬物はあるのか*
さて、ここ数年は、競泳の応援のしかたに逡巡していました。
というのも、まだ自分が何者かわからない若い人たちを持ち上げたり引きずり降ろしたり、そんな社会の中の作られていく興奮が怖いように感じることが多いからです。
昨年からは、アンチドーピング運動への疑問も大きくなりました。
この日本選手権の直前にも2つのニュースがありました。
古賀淳也選手が所属先を退職しこれからも身の潔白を証明し続けるというニュースと、
「競泳の藤森太将(ひろまさ)、ドーピング検査で陽性反応 リオ五輪4位」(朝日新聞、3月29日)でした。
朝日新聞では、12月の短水路世界選手権で「検体から興奮作用のある禁止物質メチルエフェドリンが検出された」と書かれています。
そして日本水連のコメントが以下のように書かれています。
日本水連の幹部は「指導は徹底している。本人も摂取の心当たりは無いといっている。どこに気をつけたらいいのかわからず、手の打ちようがない」と話した。
水泳は抗力と推進力のバランスが大事で、一人一人の体も心も違うので他の選手の技術を真似てるだけではだめだし、ただ力任せになってもだめだし、興奮しすぎて気負っても百分の一秒まで自分の泳ぎを再現することができなくなるほど、繊細な競技ではないかと思います。
それなのに、「これを飲むとその百分の一秒の戦いに勝てる」かのような物質は存在するのでしょうか?
「その効果を謳う側がそれを実証する必要がある」というあのニセ科学の議論で耳にしていた言葉が浮かんでくるのです。
「ドーピングの哲学 タブー視からの脱却」によれば、世界反ドーピング機関(WADA)が設立されたのが1998年のようです。
その6年前に、科学的根拠に基づく医療という言葉が生まれています。
そのあたりから医療では、「まだ検証されていないから認められない」「わからないものはわからないとする」方向へ大きく変化しました。
その医療の変化を身をもって感じてきた経験からすると、アンチドーピング運動側のようにごく微量の物質を黒(ドーピング)とする方が、社会全体が近代医学以前の非近代医学の時代に後戻りさせられているように見えるのです。
守るべきは選手たちの尊厳と健康のはずが、どこか道を間違っているように感じています。
「事実とは何か」まとめはこちら。
古賀選手、ドーピング問題についてのまとめはこちら。