温かい食事で元気が出たら、まだ日没までに3時間ぐらいあるのでもう少し欲張って歩いてみようと思いました。
すでに計画はありました。
豊橋駅から豊鉄渥美線に乗って、渥美半島の車窓の風景を見ることでした。
干潟を訪ねた頃に、地図を眺めていて偶然見つけたのが、汐川干潟でした。
最近では地図をパッと見ただけで、用水路と干拓地を見つけられるようになりました。
渥美半島の内側に干拓地らしき場所があって、そこを拡大してみていたら汐川干潟と書かれていました。
こちらの記事に書いたように、椎名誠氏や中村征夫氏の本で干潟の存在が心の中に残ってから30年ほどたった今、その言葉が大きくなってきました。
干拓地と干潟は切ってもきれない関係のようで、どちらかを立てればどちらかが立たずなのかもしれません。
*汐川干潟を車窓から眺める*
豊橋駅に戻った頃は、お天気なのに風がそうとう強くなっていました。おそらく風速10mぐらいです。
豊鉄渥美線は1時間に4本あるので、風がなければ途中下車して干潟の近くまで歩いてみようと思ったのですが、風の冷たさに断念しました。
ただ、地図で見ると線路と干潟は離れているようでも間は水田地帯のようですから、おそらく成田線から利根川が見えたように、風景を遮るものは少ないと予想しました。
予想通り、老津駅を過ぎたあたりから海が見え始めました。三河湾大橋と田原湾がしばらく見えました。その向こうにある工業地帯の存在感の方が大きくて、保存運動で守られてきた干潟が本当にあるのか車窓からは見えず、残念でした。いつか、干潟を歩きにまた訪ねてみたいものです。
せっかくだから田原城まで行ってみようと駅舎を出たら、あまりの冷たい風に気持ちが折れて、そのまま折り返しの列車に飛び乗って旅は終わりました。
でも駅に停まっていた「伊良子岬行き」のバスを見て、幼児の頃に伊勢神宮へフェリーで行ったのは、伊良子岬からだったのだとつながりました。
先日、母にどこからあのフェリーは出ていたのかと尋ねたら、愛知県だったようなことを言っていましたから。
東海道本線しかなかった1960年代前半には、おそらく関東から伊勢神宮に行くためには、豊橋で降りて伊良子岬からフェリーで伊勢神宮に行くのが近道だったのかもしれません。
思いがけず、記憶を確認する散歩になりました。
「散歩をする」まとめはこちら。