今年はアスパラガスが手頃な価格で手に入るので、ここ1ヶ月ほど、連日のように購入して食べています。
アスパラガスは、子どもの頃から大好きな野菜のひとつです。
ただ、子どもの頃の「アスパラガス」は白くて缶詰のものでした。
ちょっとふにゃとしていてマヨネーズをつけて食べていたのですが、今思い返しても子どもが好みそうな味ではなかったのに、なんで好きだったのかと不思議です。
1980年代ごろを境に、私の中での「アスパラガス」は今のようなグリーンアスパラガスに変わりました。
私が初めてグリーンアスパラガスを食べ他のはいつか、あの白いアスパラガスと同じものだと驚いたはずなのですが、それがいつだったのか、どうもそのあたりの記憶がないのです。
Wikipediaのアスパラガスの「種」に日本でのアスパラガスの歴史が書かれていました。
江戸時代にオランダ船から観賞用として日本にもたらされたが、食用として導入されたのは明治のことである。本格的な栽培が始まったのは大正からで、欧米への輸出用缶詰に使うホワイトアスパラガスが始まりであった。その後国内でも消費されるようになり、昭和40年代以降はグリーンアスパラガスが主流となった。現在では生のホワイトアスパラガスや調理しやすいミニアスパラガスなどが店頭に並んでいる。
1970年代ごろからグリーンアスパラガスが市場に出回るようになり、次第に受け入れられて80年代ごろにはアスパラガスといえばグリーンアスパラガスぐらいに逆転したのかもしれません。
そういえば最近では、近くのスーパーではあの缶詰のアスパラガスを見なくなりました。
最後に食べたのはいつ頃でしょうか。
*アスパラガスの端境期*
最近では、ほぼ一年中、グリーンアスパラガスを買うことができます。
以前は、本当に旬の野菜で、春から初夏を感じさせる季節のごく一時期だったような記憶があります。
90年代に入る頃には、日本産のアスパラガスが終わる頃に、輸入品が見られるようになりましたが、まだまだ珍しいものでした。
Wikipediaの「出荷時期と産地の例」を見ると、最近では「10・11月:輸入」でそれ以外は産地を変えながら国産のアスパラガスが供給されているようです。
1990年代初めの頃は年間で2〜3ヶ月が国産品、それ以外の時期はいろいろな国からの輸入だったように記憶しているので、30年ほどでほぼ年中、国内産のアスパラガスが食べられるようになったことになります。これもまたこちらの記事で紹介した「産地リレー」のひとつでしょうか。
*アスパラガスの端境期を埋める*
グリーンアスパラガスが大好きだったこともありますが、アスパラガスの端境期が気になってきた理由がもうひとつあります。
端境期を埋める野菜はどこからくるのかで、「1990年代初めのころ一時期住んでいた東南アジアのある地域で『日本の端境期をうめるため』にある野菜の栽培が奨励されて広がり始めていました」と書いたのがアグリーンスパラガスでした。
涼しい高冷地で栽培されるイメージがありましたから、現地の人からその話を聞いたときには半信半疑でした。
でもじきに、日本向けの輸出にはねられた細くてふぞろいのアスパラガスの束を、暑いその地域の市場で見かけるようになりました。
栽培を奨励されていたのは、少数民族の人たちの住む高地でした。
現地の友人が、アスパラガスの栽培を始めた人のところへ連れて行ってくれました。
当時、私も写真でしか見たことがなかったあのふわふわとしたグリーンアスパラガスの茎(葉だと思っていました)が一面に広がっていました。
Wikipediaによると「収穫できる株になるまで2年から3年かかる」そうですから、私が訪ねたのはようやく収穫ができるようになった頃だったようです。
収穫までは現金収入がないこと、日本への輸出に耐えるだけのレベルの高い出来が求められているので、栽培から出荷まではさまざまな経済的なリスクがありました。
それでも将来の可能性にかけてその少数民族の方々が日本向けのアスパラガス栽培を自由に選択できるのでしたら、ここまで私の記憶に残らなかったことでしょう。
問題は、土地は神のものであって、個人が所有するものではないこの地域の土地が、栽培が失敗すれば借金と引き換えに外部の人たちの名前で登記されていくことでした。
内戦状態のその地域で、半ば強制的、脅迫ともいえる契約方法でグリーンアスパラガスの栽培が行われている話を、その村で聞いたのでした。
「野菜ナビ」の「アスパラガスの輸入先と輸入量」には、「アスパラガスは12カ国から輸入されています」と5位までの国が書かれていますが、あの地域の名前はありません。私のいく店でも見かけることがなくなりました。
あの地域がその後どうなっているのか確認したい、と思いながら時間だけが過ぎています。