1980年代半ばに私が暮らしていた東南アジアのある国では、ちょうど首都に鉄道が通ることが話題になっていました。
それまでも鉄道がなかったわけではないのですが、よく「開発途上国の写真」に見るような、線路のそばまでスラム街がせり出してきて、レールの上では洗濯を干したり商売をして列車が近づいてくるとそれらを畳んで退避する路線が、首都のある地域だけにありました。
1日に数えるほどしか通過しないので、線路は大事な生活と経済活動の場所としても利用されていました。
その国の交通手段は、遠方であれば旅客機やフェリー、あるいはハイウエイバスで、近場や通勤には乗合バスが中心でした。
当時、日本ではまだ地方空港は夢のまた夢のような存在だったのに、その国では各地に国内空港が整備されていて、場所によっては国営航空会社の便が1日に数往復もあって驚きました。
もちろん、国全体の1割の富裕層しか乗ることができないものでしたが。
首都の主要な道路はいつでも渋滞していて、大型のバスや小さめの乗り合いバスが我先にと入り込むので、通勤時間帯はまさにカオスでした。
都内の通勤電車も地獄ですが、とりあえず乗ればなんとか目的地につきます。
その国の通勤は渋滞でいつ着くかわからなさそうでしたし、代替手段もないので、ぎゅうぎゅうづめの車内でじっと待つしかなかったのでした。
そこに通勤時の混雑緩和のために、鉄道ができました。
首都のいくつかの経済拠点や商業施設が集まる地域を結んだものだったと記憶しています。
開通して半年ぐらい経った頃だったと思うのですが、乗ってみました。
快適でしたが、乗車率は低いようで、その原因は高い運賃にあったようです。
あれから30年以上経ちましたが、まだ「鉄道網」というものまでには発達していなさそうです。
*鉄道は公共性が高い乗り物*
当時は、その国には鉄道を作るほどの経済力や技術がなく、ようやく鉄道が作られ始めたのだと思っていました。
最近、ネット上でその国の歴史の詳細を知ることができるようになって、実は19世紀の植民地時代にあちこちに鉄道が敷かれ、太平洋戦争あたりで廃線になったことを知りました。
植民地時代ですから、人の足となるための鉄道ではなく輸出産業のためだったようですが、それでも全国あちこちで鉄道があったのですね。
復活させようと思えばできたのでしょうが、なぜあの国ではみんなが乗れる鉄道ではなく空港の方が先に整備されたのか。
ちょっと青臭いのですが、やはり独裁政権下ではpublicという概念が何より抑圧されるのではないかと。
国の広さとか地形の違いとか、鉄道が発達するための条件の違いもあると思いますが、日本の津々浦々に作られた鉄道に乗る機会が増えて、技術や経済力だけなく、公共性という考え方なしにはここまで発達できなかったのではないかと思うこの頃です。
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