記録のあれこれ 34 Wikipediaの「奥三面ダム」

2015年に書いた奥三面ダムに沈んだ村を書いた当時は、「奥三面ダムについては、頼みの綱のWikipediaにはまとめられたものが無い」状況でした。

 

4年しか経っていないのでまだ無いだろうと思っていたら、なんと奥三面ダムがありました。

今年1月に書かれたようです。

 

概要

高さ116.0メートルのアーチ式コンクリートダムであり、三面川流域の洪水防止、流水の正常な機能維持ならびに発電を目的として建設した多目的ダムである。

冬期間は積雪によりダムへの道路が閉鎖されるため、月1回、ヘリコプターでのアクセスにより点検が行われる。 

 

遠隔 

三面川では1953年に三面ダムが完成していた。1967年の羽越水害では人的被害はなかったものの沿川は大きな被害を受けたため、これを契機に当ダムの建設計画が始まった。

ダム建設に伴いマタギの里と呼ばれた旧三面集落、さらに縄文時代を中心とした奥三面遺跡群が水没した。旧三面集落跡にはメモリアルパークが作られ、石碑が立っている。なお、三面集落に住んでいた人々は、そのほとんどが村上市松山地区に集団移転したが、移転先で「村上市松山大字三面」として名を残している。

 

また、これらに関する資料は2005年7月にオープンした「縄文の里・朝日奥三面歴史交流館」で公開されている。

 

なんて簡潔に事実をまとめた文章だろうと思えるのも、二十数年間の私自身のものの捉え方の変化があるのかもしれません。

そして、さまざまな当事者の思いや考え方に折り合いがつくには、やはり時間がかかるのかもしれませんね。

 

このWikipediaの記事を書かれたのはどんな方なのだろうと、ちょっと気になっています。

 

 

 

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