年金についても、いつも「将来はこんなに不安」な気持ちになりながら納めてきたけれど、反面、「(なんだ、あんなに不安を煽られなくてもなんとかなっているではないか)」という気持ちにもなります。
30年ぐらい前の将来の不安では想像もしていなかったことが、いろいろと実現しています。
30年前というと、60歳定年の時代で、「還暦」を迎えた人はずいぶんな高齢者に見えました。一部の仕事をのぞいては、とても働くだけの体力や気力もなさそうな年代に見えていました。
ところが、両親世代がその時期になって間近で見ていると、年齢相応の病気は増えても、まだまだ人生を謳歌し元気なものでした。
また、高齢化社会で大変になると脅かされましたが、こちらの記事の「現実的な社会実験とも言えるものもあった」に書いたように、80年台にはまだ介護という言葉さえほとんど聞かれなかったものが、その後、デイケア・ショートステイ、グループホーム、あるいはプライバシーの守られたユニット式の特別養護老人ホームまで、30年ほど前の不安が嘘のような社会が実現しています。
でも、現実的に良くなった面はなかなか顧みられることなく、社会というのはいつも不安な物言いの方が受け入れられやすいのかなと思っています。
*人口についての不安の移り変わり*
「かかとをつかんで生まれれる」でこんなことを書きました。
この一節を読むたびに、戦前の「産めよ増やせよ」の時代から戦後の「産児制限」へと日本の助産婦の仕事が変化したこと、あるいは1990年代頃の中国の一人っ子政策で女児が中絶させられていたことなどを思い起こします。
そして「少子化」も。
その時代の政治の風潮や権力の影響から、出産に関わる者はどうあるべきなのかを突き詰められる箇所でもあります。
「人口問題」として、仕事上では「産んだ方がいい」「産まない方がいい」という価値観を押し付けることしたくないし、実際にしなくて済んでいる現代をありがたく思っています。
ただ最近の、どこを切っても「少子化で大変」という風潮が強まっていき、その反対の考え方を探してもほとんど見つからない社会の雰囲気はちょっと怖いなと感じています。
半世紀前、ちょうど日本の人口が1億を超えました。
当時はまだ世界の人口が50億になる前で、人口1億以上の国は日本を含むわずか7〜8カ国しかなかったと記憶しています。
「資源がない日本」「国土面積も小さい日本」と言われて、国内だけでなく海外へも出稼ぎや移民になっているというのに、世界の50分の1もの人口を日本が占めていることに漠然とした不安がありました。
日本の人口統計にこんなことが書かれていて、私の漠然とした不安は、当時の社会の雰囲気がそうだったのだとつながりました。
1973年(昭和48年)には人口問題研究会が主催し、厚生省(現:厚生労働省)と外務省が後援して世界人口会議に先駆けた第1回日本人口会議では、人口爆発により発生する問題への懸念から「子どもは2人まで」という趣旨の大会宣言を採択するなど人口抑制政策を進めた。
「人口が多すぎる」というのが当時の捉え方でした。
それは、人口が多すぎるから飢餓がおこると、80年代から90年代の開発途上国の問題でも理由にされていました。
現在の日本は1億2千万人以上ですから、1970年代の2.5割増の人口です。
これだけの人が、この日本で生活をしていることに、ちょっとめまいのような感覚になります。
私自身は人口というとこの「人口爆発」への不安の印象が強く残り続けているので、最近の少子化への不安は反動のようにも見えるのです。
半世紀ほどで人口に対する考え方が反転し、今度はどこへ向かうのでしょうか。
「10年ひとむかし」まとめはこちら。