数字のあれこれ 52 「頑張って作っても50回」

昨年の倉敷の水害から1年が過ぎました。

西日本豪雨のその後の様子がドキュメンタリー番組になっていると、録画するようにしています。ただ、東日本大震災の番組もそうですが、観ようと思っても再生するまでに一大決心が必要になり、そのまま削除してしまうことがあります。あるいは途中まで観ると、やはりつらくなってやめてしまうこともあります。

 

6月下旬にNHKが放送した「みかんの花が咲く谷で 豪雨から1年 農家たちの自叙伝」も録画したまま、しばらく観るのをためらっていました。

 

あちこちを散歩するようになって、急峻な山々に建てられた家や畑、あるいは森を見る機会が増え、また それぞれの地域の災害の記録を知るようになったことで、訪ねたことがない地域でもまるで行ったことがあるような気持ちになっています。

 

録画してから1ヶ月ほどして、ふと思い立って観ることにしました。

 

*「頑張って作っても50回」*

 

番組では数人の方を中心に、災害直後からの様子を追っていました。

どの方の言葉も心にずしんとくるものばかりで、この集落の小さな社会に入り、ここまで言葉を引き出した側にも、ドキュメンタリーの真髄を感じさせるものでした。

 

その中で、一旦はみかんづくりをやめようと思った若い方の言葉にハッとしました。

生きもの相手にするのって難しいですね。年に1回しかならないんで、みかんで頑張って作っても50回。 

 

今年は豊作か、値段はどうか、ぐらいしか考えたことがなかったと恥じ入りました。

 

収穫できるようになってから、人生の中で50回ぐらいしか収穫の時期を経験できないのですね。

ましてや、1970年代ぐらいまでの人生50年の時代なら、半分の回数だったことでしょう。

当たり前といえばそうなのに、なぜかこういう大事なことをあまり考えずに生きているのかもしれません。

 

そして作物を育てるのにも初心者から達人までの段階があることでしょうし、自然という不確実で無慈悲な条件を相手に、会心の出来というのは何度あることなのでしょうか。

 

他の方が「農業というのは先祖の資産を活用して子どもを成長させていく」とおっしゃっていたのですが、30才ぐらいで「頑張って作っても50回」と諦観を持てるのも、先祖の資産の一つなのかもしれないと思えたのでした。

 

 

「数字のあれこれ」まとめはこちら