行間を読む 82 半世紀の母子保健の変化

東北本線の車窓から見えた胆沢川扇状地の水田地帯は、稲穂がでる少しぐらい前の時期でしょうか、深い緑が一面に広がり、夏の風に揺れていました。

そして北上駅を出ると、国道に北上工業団地の表示がありました。

検索すると北上工業団地のホームページがありました。

昭和63年6月に県内の中核的工業団地の先陣を切り完売した北上工業団地は、北上市の理念である工業の振興を目指し、当市が昭和30年代後半から事業を開始した県内で最も歴史のある団地であり"工業都市北上"のシンボルとなっています。 

 

「誘致企業の進出の極めて著しいところ」にある胆沢母子健康センターの状況として記録が残された地域です。

 

車窓から見える風景も駅の周辺を歩いて見ても、どこもよく整備された地方都市で、江戸時代や明治時代からの北上川周辺の歴史を感じさせる落ち着いた街という印象でした。

 

*1970年代の胆沢地域の母子保健はどんな感じだったのか*

 

2013年に、「岩手県の1970年代の母子保健センターの記録より」「昭和40年代、無介助分娩が多かった地域」という連続した記事で、岩手医大の「母子健康センターのあり方」という調査報告を引用しました。残念ながら現在は一般公開ではなくなってしまいましたが。

 

この調査報告書にでてくる胆沢町の様子はこんな感じでした。

一方農村地域(胆沢町)では数年来中毒症の発症が多く、今回の調査でもセンター受診者の35.3%に中毒様症状が認められ、かつ中等度の病型を示すものが多く、今後さらに追求する必要がある。

 

「センター」というのは「助産施設」であり、産科医がいない施設という意味です。農山漁村やへき地だけでなく、都内でも1980年代終わり頃まで産婦人科医のいないこうした助産施設があったことはこちらに書きました。

 

県内31カ所の助産施設としてのセンターの利用状況は既に数箇所で助産部門を廃止し、他のセンターでも2〜3を除き入所者は減少傾向にあり、表2に示す如く今回の調査対象の4地区についても、胆沢町を除き、他は減少傾向にある。

(中略)

この表からは一定の傾向は見えないが、たまたま平均措置率の比較的効率の浄法寺町センター、胆沢町センターはともに病院が隣接しているものの産婦人科医が常在せず、これに対し岩泉町センター、石鳥谷町センターは隣接して病院があり、かつ産婦人科医が常在している環境である。

 

産科医とともに分娩介助をしていても、妊産婦さんの血圧が急激に上がると、重症な合併症を予測してこちらの足がすくみそうになります。

血圧の高い妊婦さんを、助産婦だけで対応しなければならなかった時代があった。

そんなに昔の話ではなく、私が高校生ぐらいの頃にもあったのでした。

 

*現在の胆沢地域のお産事情はどうなのか*

 

1980年代終わり頃に助産師になった頃は、まだ周産期医療ネットワークシステムこそなかったし、救命救急も曙の時代ではありましたが、分娩場所がなくて困るという話題はほとんどない時代でした。

2004年の産科崩壊あたりから、周産期医療は厳しい話題ばかりになりました。

 

 

 

車窓から見えた胆沢地域の最近のお産はどうなのだろうと検索してみました。

2007年の岩手県議会に出された「県立胆沢病院と小児科の常勤医師増員確保を求める請願」が公開されていました。

県立胆沢病院はこれまで胆江管内のみならず、両磐や沿岸そして北上・花巻地域からの患者を引き受け、名実ともに地域医療の中核病院として県民・住民の厚い信頼を受けてきた。

しかし、この6月中に産婦人科の3名の医師のうち1名が大学病院へ戻るため退職し、もう1名の医師は産休に入るため、常勤医師は1名となっています。

地域の住民・県民は県立胆沢病院でこれまでのような診察・治療を行って行くことを切望しているが、産婦人科医師1名では、これまでのような診療や救急体制を継続することは不可能である。

 小児科医も1名になってしまったようです。

 

それからちょうど10年後の2017年に出された、「県立胆沢病院ー近況と課題ー」というPDFが公開されていました。

産科不在・小児科医のパワー不足 

産婦人科常勤医不在

ー当医療機関で約1000件/年のお産あり

ー約200件/年行っていた某開業医が体調不良でお産を取り止めたため、現在非常に厳しい状況となっている

ー胆江地区では里帰り出産ができない

ーまた産科の救急医療ができない

 

・小児科の常勤医が定年間近の一名のみ

ー小児2次救急の受け入れに限界がある

 

全ての分娩に産科医あるいは小児科医が立ち会ってくれるという人類にとって夢のような時期は短かった 、ということになっていくのでしょうか。

「死亡率の改善という努力の代償はあまりにも残酷すぎた」と産科医に言わしめた半世紀の変化は、これからどうなっていくのでしょうか。

 

 

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