散歩をする  164 九頭竜川河口へ

永平寺周辺も数日ぐらいかけて見てまわりたいところですが、ここからただひたすら川と海を見る〜北陸編〜の1日目は、分刻みのスケジュールです。

永平寺ライナーで福井駅に戻り、10分後に発車予定のえちぜん鉄道三国芦原線に乗る予定です。バスなので途中少しでも遅れたらとドキドキしましたが、2〜3分の遅れで到着。慣れない駅構内を移動して、なんとか乗ることができました。

 

九頭竜川下流に沿って走っている鉄道ですが、少し川とは離れているので本流は見えず、ただ河口と海を見るのが目的です。

それでも、九頭竜川が作り出した平野に水田地帯が広がっているのを見るだけでも楽しい車窓の風景です。

途中のあわら湯のまち駅の手前ぐらいから、線路はぐいと西側へと曲がります。地図で見ていた時にはどんな場所なのだろうと思っていましたが、次第に右手は小高い場所へと変化し、三国港(みなと)駅のあたりまで続いています。これもまた九頭竜川の作り出した地形でしょうか。

 

九頭竜川河口と三国港突堤

 

三国港駅に降りると、目の前に九頭竜川が滔々と流れています。

三国港があり、その日は風もない穏やかな河口に漁船が何艘も停泊していました。

そこから300mほど歩くと日本海です。夕方になって来たとはいえ、暑い日差しの中、河口まで行くとそこに記念碑が立っていました。

 

二人の石像が埋め込まれた記念碑には、「ヨハニス・デ・レイケ(1842~1913)」「ジョージ・アーノルド・エッセル(1843~1939)」とあります。

ああ、なんとあの木曽三川分流工事で知った、ヨハネス・デ・レーケ氏の名前をこの九頭竜川河口で見るとは。

 

福井県建設技術協会の「三国港突堤(通称:エッセル堤)の紹介」に詳細がありました。

「明治三大築港」として今なお機能しつづける三国港突堤

 

川のはん濫を防いだオランダ人技師G.A.エッセルの偉業

 古くから北前船の交易と九頭竜川の舟運で栄えた三国港は、江戸末期、上流から流れる土砂で毎年のように河口が塞がれ、川のはん濫による洪水と、土砂による船の出入りの阻害に悩まされていました。地元の有力者たちは、県や政府に改修を強く求め、その強い思いに応えた政府は、内務省土木局のオランダ人技師G.A.エッセルを現地に派遣しました。

 エッセルは、オランダでの経験を生かし改修の作成に着手。河口右岸に防波堤と導流堤を兼ねた延長511mの突堤を、左岸には河口のかなり上流までT字型の粗朶水制を設け、河口へ向かって低水路幅を徐々に狭めることにより、洪水の力で土砂を海の深いところへ流すという「阪井港近傍九頭龍川改修計画」を作成しました。

 工事は同じくオランダ人技師のデ・レイケのもとで行われ、明治11年(1878)に着手しました。突堤に使用する岩石は東尋坊一帯から採取し、船で運ばれました。しかし、工事は日本海特有の冬季の荒天と当時流行した伝染病の「コレラ」の蔓延で難航し、また工事費も高騰してしまいました。

 さまざまな困難を乗り越え、明治15年(1882)、突堤と粗朶水制が完成しました。

 

それ以降一世紀半近く、この九頭竜川河口を守って来たのですね。

ほんとうに当時遠く祖国を離れて日本に技術や知識を伝えようとした方々の動機は何だろう、行く先々で出会う名前に、土木技術の歴史をあまりに知らないでいたことを痛感しました。

 

突堤の途中まで歩いて見たかったのですが、次第に海風が強くなりあきらめました。

近くにあった温泉に海を一望できるレストランがあったので、ビールを飲みながら日本海へと少し日が傾きかけていのを眺めました。ここでもまた、方向感覚がおかしくなりながら。

 

夕日を見ながら、東尋坊などの海岸線を回る路線バスでJR芦原(あわら)温泉駅に行き、そこから福井駅へ戻り、1日目の旅が無事に終わりました。

30年前にふと耳にした九頭龍川でしたが、こんなにも満ち足りた旅へといざなってくれたのでした。 

 

*おまけ*

ブラタモリ東尋坊の回でも、さすがにこの突堤までは放送していなかったように思ったので、まとめサイトを読んで見たら、何と「東尋坊から柱状節理を切り崩して運んで来た」ことが放送されていたのに私が見逃していたようです。

次回から、もっと真剣にみようと思いました。

 

 

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