あちこちの川や海をひたすらながめる散歩をしているのですが、美しい風景を楽しむこととともに、その地域の災害の記憶や記録を訪ね歩く散歩になりつつあります。
なぜ、そうなのだろう。
思い返すと、難民キャンプに飛び込んだのも非常時の看護を知りたいという思いがあったように思いますし、それ以降も海外へ行くときは観光というよりは「見学」「身をさらす」といったニュアンスの旅になるのでした。
今回の川と海を見に〜茨城・福島・山形・新潟編〜も、茨城から福島の沿岸部はまだまだあの東日本大震災の復興途中の地域ですし、特に富岡駅から原ノ町駅までの代行バス区間はまだ現在も避難地域に指定されている区間を通過します。
とても物見遊山の気持ちでは行けない地域です。
東南アジアのある地域を回っていた時に、内戦状態のその地域を歩くときのあの「身をさらす」(exposure)という感覚が蘇ってくるほど、計画の段階で緊張していました。
さらに計画していた時にはまだ米沢から郡山、会津若松、そして新潟までは、ただただ川を眺めることを楽しみにしていたのですが、その地域も台風で被害が出ている場所もありました。
なぜそのような時期に、そうした場所に出かけて行こうと思うのだろう。
20代の頃からの、若気の至りのような感情になぜ私はかき立てられるのだろうと行きつ戻りつ考えているのですが、最近もしかしたらと思えることがあります。
それは幼児の頃に川が氾濫した濁流の中、自衛官に背負ってもらって避難した記憶が鮮烈に残っているのですが、その後の生活はどうだったのかという記憶が全く抜け落ちているのです。
しばらくは住宅の周りは泥水が溜まっていたでしょうし、大人はおそらく後片付けに追われていたでしょうし、食糧が足りない、トイレに困る、お風呂に入れないとか洗濯もできないとか非常事態だったのだと思います。
今住んでいる場所でも、数年から10年に一度ぐらいで浸水のニュースを聞くのですが、後片付けの状況やその後生活が戻るまでを実際に見ることもありませんでした。
災害とか戦争とか、非常事態から日常生活に戻るためには何をしてきたのか。
そのあたり、幼児の頃の記憶から抜け落ちている部分を確認したい。
その思いが、私を散歩にかき立てているのかもしれません。
「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら。