のんびりと福島〜山形〜新潟の一泊二日の散歩の記録を書いていたら、まだ1日目の記録も終わっていないうちに1ヶ月が過ぎてしまいました。
ちょっと記憶が怪しくなりつつあるのですが、ところどころで書いたメモと写真を頼りにもう少し続きます。
今年は人生で初めて仙台市を訪れました。以前、ブラタモリで紹介されていた四ツ谷用水や、高校生の頃に初めて知った広瀬川を歩いてみたいと思っていましたが、なんと半年のうちに2回も素通りすることになりました。まあ、駅そばを食べられたのは目標達成で満足ですが。
ただ新幹線の車窓から広瀬川下流を見ることができたし、今回は仙山線に乗ったので、仙台市内と広瀬川の中流から上流を見ることができました。
*仙山線で仙台から山形、そして米沢へ*
車窓の風景を見ているときはまばたきすら惜しんで見ているので、この日もわずかのメモしか残っていません。
仙台、梅田川、きれい
切り立つ山へ
国見、広瀬川の段丘、太平洋が見える
きれいな川、広瀬川、熊ケ根の手前
作並、分水嶺
山寺の前で川が合流
最上川の支流
16時40分ごろ暗くて見えなくなる
長くてうるさいトンネル
もう自分で読んでも思い出せない部分もあるのですが、Wikipediaの仙山線の「沿線概況」を読んで、記憶がつながってきました。
仙台駅を出るとしばらく小さな川のそばを並走するのですが、それが梅田川で、なんとも水がきれいだったことが印象に残りました。
仙山線の列車は仙台駅の7・8番線から発車する。線路はしばらく東北本線に並行するが、ダンロップスポーツクラブあたりから急勾配と急カーブで東北本線を一気に跨ぎ西側へ進路を変え、梅田川を右岸から左岸に渡る。
「切り立つ山」とメモしたのは以下の区間のようです。
東照宮駅を過ぎると梅田川および台原段丘の段丘崖との並走区間に入って、崖の斜面や土盛りの上を通りながら、北仙台付近で再び梅田川右岸となる。
「国見、広瀬川の段丘 、太平洋が見える」はおそらく以下のあたり。
北山駅を過ぎると北山丘陵南斜面川に移り、国見丘陵南斜面を走って、梅田川から広瀬川流域に変わる。これらの丘陵地はマイホーム用の住宅地として開発されている。
そしてこのあたりから住宅が少なくなり、広瀬川に沿って山の中へと入っていったのだと思います。
渓谷に入る前の風景が、木曽三川を回ったときの養老鉄道の沿線に似ていたので印象に残りました。
そして深い渓谷に入っていきます。
愛子からは広瀬川や国道48号線と並走し、山と田園の風景が広がる。陸前白沢・熊ケ根間にある第二広瀬川橋梁(熊ケ根鉄橋)は深い渓谷に架かるものであり、絶景である。
作並で広瀬川の支流を超えると、長いトンネルに入り、次にみた川は日本海側へと流れる最上川の支流でした。
トンネルは今までに経験がないうるささで驚いたのですが、これが「奥羽山脈を貫く仙山トンネル」のようです。「歴史」によれば1926年(大正15年)4月に始まった仙山線の工事でも、最後まで残された箇所だったようです。
残された作並・山寺間は1937年(昭和12年) に開通した。奥羽山脈を横断するこの区間には全長5361メートルの仙山トンネルが建設された。これは当時としては、上越線の清水トンネル、東海道本線の丹那トンネルに次ぐ、日本国内で3番目の長さを持つトンネルだった。
トンネルを抜けたらすっかり夕闇で、山形市内に入る頃には真っ暗でした。山形市も初めて訪れるので風景を見たかったのですが、10月は日が沈むのが早いので残念ですね。
真っ暗で、最上川を見るのは翌朝までお預けです。
米沢駅に降りたら、本当にここかしこから牛肉を料理している良い香りが漂ってきましたが、仙台駅で遅めに食べたかき揚げそばでお腹がいっぱい。
あまりに残念だったので、翌日、米沢を発つ前に「牛肉の大和煮」を奮発して購入しました。
長い長い、でも充実した浜通りから米沢までの一日が終わりました。
明日はいよいよ最上川上流です。
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