散歩をする  179 最上川上流を歩く

ホテルから歩いて数分で、最上川の橋に出ました。

予想よりは川幅が狭いのですが、河川敷は広く取られていました。その河川敷と堤防のあちこちに台風19号のあとがみえました。そして2〜3日前の低気圧のためでしょうか、まだ茶色の濁流です。

 

橋の近くに市内の地図がありました。

ところが地図には「最上川」という名前がどこにも書かれていません。「松川」になっています。どうやら地元では松川と呼ばれているようです。

 

橋を渡るとそこは古い寺町になり、駅周辺とは雰囲気が一変しました。

ホテルの窓から見るとそのあたりから、米沢城に向かって上り坂になっているように見えたのですが、実際に歩いて見るとそれほどの勾配ではありませんでした。

 

早朝で、まだ車も人も往来も少ない静かで落ち着いた町並みを歩いていくと、米沢城跡につきました。

街中の表示は米沢城よりはむしろ上杉神社と書かれていることが多く、地元の方にとっては上杉謙信の存在が大きいのでしょうか。

 

散歩をしていると、こういう「地元ならでは」という感覚にちょっと敏感になっています。というのも、自分の故郷という感覚のない私には、この空気のように子どもの頃からその土地の歴史や地理を感じて育った人たちにかなわないなという思いが年々強くなっているからです。

 

雨の降る平日の早朝にも関わらず、上杉神社に参拝している老若男女の地元の方々がいらっしゃいました。

 

*川と川と川に挟まれた米沢*

 

米沢に宿泊することを決めたのは2日間の日程でちょうど都合がよかったこともありますが、地図を見て米沢城が川と川に挟まれていることが気になったことも理由でした。

最上川の水害を避けて建てたとは思えない場所で、最上川と反対側にもうひとつ小さな川があります。米沢城はどんなところなのだろうと見てみたくなったのでした。

 

最上川河岸段丘というほどの高低差もない場所に米沢城があり、そこから西側に最上川の支流の堀立川があります。雨の中、その堀立川まで歩いてみました。

米沢城とそれほど高低差もなく、その堀立川が流れていました。小さな川ですが、雨のためか流れははやく水量も多い川で、都内の神田川石神井川のように深く掘られて護岸されているように見えました。

 

不思議な場所に建つ米沢城です。

最上川の「米沢藩の治水事業」にこんな説明があります。

こうした中で上杉氏の家臣筆頭だった直江兼読は、最上川の洪水から米沢城下を守り、城下町を発展させるため、最上川に「谷地河原石堤」を建設し治水の対策を講じた。この堤防は高さ1.5m~1.9m、堤防上部幅5.4m、堤防下部幅9.0mの石積み堤防であった。こうした治水対策は米沢藩の重要施策として新田開発とともに推進されたが、こうした施策における兼読の役割は大きく、谷地河原石堤は通称「直江石堤」と呼ばれ、遺徳が偲ばれている。 

ああ、残念。どのあたりなのでしょうか。ぜひ歩いてみたいものです。 

 

通りを歩いていると、7時過ぎなのに湯気が盛んに出ている、お餅やお団子を作っているお店がありました。良い香りに誘われて、できたてのお菓子を購入。

そしてまた駅まで戻りました。

 

地図を見ると米沢駅は、最上川と支流の羽黒川に挟まれた場所にあります。最初、この羽黒川までも歩いてみようと計画をたてていました。

ところが雨の中の散歩というのは案外疲れるものです。

 

駅にたどり着いたところで気持ちが折れ、さらに美味しそうな駅そばに誘われたのでした。あの父の面会の時に食べたお店の女性のような方が一人で切りもりしているのを見たら、足が止まりました。

言葉数は少ないけれど常連さんらしき人と会話をし、そして入れ替わり立ち替わり入ってくるお客さんに目配りしている、そんな感じの方です。

 

雨に濡れた後の山菜そばは格別でした。

 

ここからは一旦、福島に出て郡山から会津へと向かいます。

 

 

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