神栖を訪ねようと出発したのは11月初旬でした。
昨年末から歩き始めた房総半島が台風15号による広範囲で甚大な被害、さらに10月中旬には台風19号で再び被害のニュースが伝えられました。
千葉方面に向かう列車に乗ることも、少々気が引ける時期でした。
銚子までは千葉駅から総武本線の各駅停車に乗りました。
車窓から見る風景はあちこちで倒木が目につきましたが、それを除けば普段の通勤通学時間帯の風景のようで、少し安堵したのでした。
横芝あたりから、沿線にブルーシートで屋根を覆われた家が所々見えました。
家の作りを見ると新しくて頑丈そうなのに屋根が飛ばされた家もあれば、古くて傾きかけているような家でも大丈夫だったところもあるようでした。
そして風が強そうなイメージがある銚子に近づくにつれて、青いシートはほとんど見かけなくなりました。
畑が多くなり、無事に育ったキャベツを収穫されている方々の姿が見えました。
人生の中で、数えるほどしか収穫の時期がないことが身につまされる一年でした。
何が命運をわけるのだろう、そんなことを考えているうちに銚子駅につきました。
*バスで神栖市を走る*
ここからは、鹿島神宮駅までの路線バスに乗りました。
出発してすぐに、利根川の河口にかかる銚子大橋を渡りました。昨年末に利根川河口を見た時に、いつかは渡ってみたいと思っていたことが実現しました。歩いて渡るには風も強そうですし、河岸いっぱいまで流れている水を見たら足がすくみそうですから、バスでよかったかもしれません。
橋を渡ると波崎の町に入りました。水産物加工場があちこちにあり、港町のようです。
少しずつバスは上り、台地のような場所になりました。すぐそこに太平洋側があるのですが、海はほとんど見えず、海岸沿いにある風力発電の羽と塔の一部が見える風景です。
砂丘だったのだと思うような乾燥した場所には、大きな樹木は見かけず、松の苗木を育てている場所だけが目立ちました。
ずっとこんな感じの風景だろうと思っていたら、舎利という地区に入って一変しました。
水田があり、用水路があります。水田以外にもさまざまな形で湿地がありますから、昔からどこからか水を引いて稲作をしていたような印象です。
そこを過ぎると、また乾燥した大地でところどころ住宅街があり、おそらく鹿島臨海工業地帯とともに造られたと思われるまっすぐな道が続きます。
海が見えないのでけっこう高い場所かと思っていたのですが、海抜7.6mという表示を見かけました。
鹿島臨海工業団地の一部がすぐそばに見え始めます。
知手団地のあたりからぐんと上り坂になり、その上りきったところに神栖済生会病院があり、バスはまた下り坂を降りて市街地へと入って行きました。
ここまで銚子駅から約1時間、広大な砂丘だったことを感じます。
しばらくすると神栖市の中心地だとわかる、片側4車線の道路に入りました。
横断歩道を渡るのも大変そうな、広い道路がずーっと続いていました。
右手に神之池緑地公園が見え始め、大きな文化センターがありました。
そこに「水神社」とあったのを、バスの車窓から見逃しませんでした。
砂丘の台地に水を願う神社だろうと思っていたところ、神栖市歴史民族資料館の展示をみて神之池のことを知りました。
その後、神栖歴史民俗資料館のパンフレットが見つかり、「水の郷(さと)」がテーマであったことがわかりました。
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