記録のあれこれ 54 「神栖の歴史」

神栖歴史民族資料館に、「神栖の歴史」という334ページの厚い本がありました。

発行日は昭和59年7月(1984年)で、「神栖町」と表紙にありました。

 

 Wikipedia神栖市の歴史によれば、「1955年(昭和30年)3月1日ー息栖村、軽野村が合併、神之池と息栖神社から新村名を『神栖村』とする」「1970年(昭和45年)1月1日ー神栖村が町制施行改称し神栖町となる」とあり、その後、「2005年(平成17年)8月1日ー神栖町が鹿島郡波崎町編入、同日、市制施行し神栖市が発足」とあります。

その町制の時代に作成された資料のようです。

 

その「序」を読んでいたら、いろいろと思うところが溢れ、そのままここに記録しておきたくなりました。

 

 來る昭和60年は、旧軽野村と旧息栖村が合併し、新しい神栖村が誕生してから満30周年を迎えます。さらに神栖町となってからもちょうど15周年に当たります。

 この30年間に、わたくしたちの郷土は、砂丘と松林に囲まれたのどかな農村地帯から、臨海工業と近郊型農業とを組み合わせた新しい農工都市へと一大変貌をとげました。

 鹿島開発という世紀の大事業を通じて、私たち神栖町の住民は、想像をはるかにこえた歴史的な大転換を経験したのです。

 新しいものの建設は、 たえず古いものの破壊をともないますが、過去の生活と現在とを結びつける大切な郷土の風習は、次々と形をかえ、或いは消滅したことは否めません。神の池、うずも(砂山)、息栖神社は、永い歴史のなかで、わが郷土のシンボルでありましたが、今日では巨大なコンビナートや鹿島港が、新しい時代のシンボルとして世界の注目を集めています。

 開発が始まった昭和35年に生まれた人は、すでに24歳の成人に達し、幼い頃の記憶のなかにも、美しい神の池やうずもの姿は浮かばなくなっています。過去と現在をつなぐ手がかりが、身のまわりからどんどんなくなっていきます。そんなことから、今の子供たちは、ずっと昔から楽な暮らしをしてきたものと思い込んでおり、以前のあの苦しかった貧しい農村の生活など想像することもできないでしょう。渡船場を中心とした村の生活や水害と苦闘したご先祖の苦労が彫みこまれている郷土の歴史を今こそ伝え残してゆかなければなりません。

 古い家屋が次々ととり壊され、家に伝わる古文書類も整理がつかないまま焼却されてしまうのが実情です。また新しい住民が年々増加する一方で、昔の姿を伝える古老はなくなられていきます。

 新しいまちの建設が、古い郷土の歴史を一方的に消し去ってしまわないように、出来る限り細やかに過去の姿を書き誌し、それを伝える諸資料の保存を急がなければならないのです。

 町史編さんの計画は、過去にも何度か試みられましたが、開発による激動期では挫折せざるをえませんでした。ようやく時運も熟した昭和54年度より、議会の承認もえて「神栖町史編さん事業」をスタートすることができました。

 郷土史の編さんは、地元住民の手によって体験や言い伝えを中心に綴ることもできますが、自ずからその範囲や水準に限界があり、特に古い時代の考証や学問的な裏づけを必要とする事柄を大きな時代の流れの中で正確に位置づけ描き出すことは非常に難しい仕事です。古文書の解読や評価にも専門的な知識が必要です。

 このようなことから、専門の歴史学者と地元の有識者および自治体という三位一体の協力関係によって、社会的評価にたえうる立派な町史の完成を目標としたのです。

 さいわい10数年前より茨城県史の編さん事業にたずさわってこられた専門の先生方が、中心となって「神栖町史編さん委員会」の委員を引き受けて下さり、実務の運営を現代史研究所へ委嘱することになりました。また町に「神栖町史刊行連絡会議」を設置し事業全般を審議する体制を整えました。

 基本計画では、五カ年間で『神栖町史』本巻と普及版を完成させることとし、初年度より史料の収集と調査が始められたのです。

 当初の予定では、開発による混乱という事情もあって、町内には古い資料がほとんど残されていないのではないかと思われていましたが、各区に引き継がれてきた「区有文書」や旧家の古文書のなかには、貴重な記録も多く発見され、手がかりのなかった事件などの概要もかなり明らかにされてきたようです。集められた数多くの史料を見ますと、町民の皆さんが心の奥底に郷土の歴史に対する深い関心を秘めていたことが判ります。ただ保存の状態も悪く、未整理のまま焼却寸前のものもあり、歴史的、文化的史料の保存が急務であることを痛感させられます。

 5年間にわたる作業の最初の成果として、『神栖の歴史』普及版が、ようやく刊行の運びとなり、初めて見る珍しい写真や絵図が多く収録されているので、皆さんも家中で楽しく読むことができるとおもいます。

 神栖町の場合、10年前の姿でさえ写真でみるしかない情景が数々あり、できる限り多くの写真を残すために苦労された編集者の努力に対して心より感謝する次第です。

 この後ひき続いて本史『神栖町史』の編さん作業が進められており、詳しい郷土史の記述が期待されます。

 この度の『神栖の歴史』刊行にあたり、その優れた見識と努力を惜しみなくご提供くださった諸先生方に厚い敬意と感謝を表する次第です。また貴重な史料の撮影や調査にご協力くださった皆様にも心より御礼を申し上げ、ご挨拶といたします。

 

昭和59年7月   神栖町長  保立秋

 

過去の水争いや災害など好ましくないことも記録し、過去への一方的なノスタルジーや現在の否定でもなく、歴史を言葉で残すということはこういうことなのかと、そしてとても科学的な文章だと感じました。

そして全国津々浦々にこうした歴史資料館があり、地道な作業と研究が日本の現在を支えてくださっているのだと、あちこちを散歩していると頭が下がる思いです。

 

 

さて「序」の中で、「開発が始まった昭和35年に生まれた人は、すでに24歳の成人に達し」とあります。

私の世代に向けて書かれています。

この本が完成した1984年ごろ私は何をしていたかというと、意識の高さに酔って海外へと飛び出していたのでした。

歴史とは何か、何もわかっていなかったのだと。

 

 

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