地図で宍道湖周辺を眺めていたら、私のイメージにはなかったものを見つけました。
それはJR山陰線の通っている湖畔の対岸にも、電車が通っていたことでした。
ぐるりと対岸を走って、松江市内まで通っています。戦後、観光が庶民的になった時代にできたのかと思って検索すると、1911年(明治44)に計画、1915年(大正4)に一畑まで開通したという歴史のある鉄道のようです。
計画ができた1911年のさらに半世紀前だと、蒸気機関車なんて想像もできない江戸時代ですから、ほんとうにこのあたりの時代は驚異的に変化する時代ですね。
Wikipediaを読むと、戦後はむしろ周辺の道路整備とともに経営の岐路に立たされたようです。
JRと合わせて乗ると宍道湖をぐるりと一周できる鉄道があるなんて、ぜひぜひ残して欲しいですね。
*宍道湖の風景を眺める*
電鉄出雲市駅からその一畑電車北松江線に乗りました。けっこう、地元の人も観光と思われる人も乗っています。
しばらくは斐伊川に沿った水田地帯のそばを走ります。用水路がまっすぐに通っていて戦後にできた干拓地なのかなあと思っていると、少しずつ斐伊川の河岸段丘に沿って列車は少し高いところを走り、宍道湖畔へと出ました。
ここからは、ただただ宍道湖の湖面や湖畔の風景を眺めていたので、メモをする時間がなく残っているのは記憶だけです。
航空写真を見ると、この一畑電車が走っている湖畔側は山がせまっていて、ほとんど平地もありませんが、その通りの地形でした。
帰宅してから改めて航空写真を見ても、駅の近くに小さな川と細い谷津の周辺に田畑や家が集まった集落がある風景です。
何を生業にしてこの地で生きているのだろうと、この地域の歴史と生活史を知りたくなります。
それにしてもこの車社会の時代に、電車でのんびりと湖の風景を見ることができるなんて、なんと贅沢な旅でしょうか。週に1回ぐらい、ぐるりと宍道湖のまわりをまわったら豊かな時間になりそうでうらやましい限りです。
終点の松江しんじ湖温泉駅の手前で少し大きな川を渡りますが、それが佐陀川で、一畑電車の車窓から見えた他の川は宍道湖への流入河川だったのですが、この川は宍道湖から日本海側へと流出するようです。
*江戸時代に造られた人工運河*
帰宅してから宍道湖を読み直して、この佐陀川が江戸時代に造られた運河であることを知りました。
天明というと1781年から89年までですから、人海戦術での工事は実際にどんな感じだったのでしょうか。玉川上水や各地に残る江戸時代の新田開発など、江戸時代の土木事業というのは今更ながらにすごいですね。
今回、行く前に佐陀川について気づいていたら、もっと車窓をしっかり見たのですが、残念。
いつかの散歩の計画としてとっておくことにしましょう。
上記の佐陀川の説明のあとに、「これによって島根半島東部は本土と切り離されている」の一言に衝撃を受けました。
地図を繰り返し眺めているうちにだいたいの宍道湖と中海の位置関係が思い出せるくらいになり、境水道で斐伊川の水が日本海に流れるあたりまでは理解できました。
ところが、この佐陀川によって、そこから東の部分は「本土と切り離された」ことになるのですね。
島ではないけれど、島のような関係になる。いやはや、地形と地理は奥が深いですね。
ああ、やっぱり百聞は一見にしかずです。いや、一見だけでなく「百聞」も大事。
このおもしろさがあるので、やめられませんね。
「散歩をする」まとめはこちら。