渋谷駅の再開発で桜丘が更地になったと12月初旬に書きました。
桜丘は渋谷川の河岸段丘だったのだとはっきりとわかる、なかなかこの機会でないと見られない風景になっています。
更地といっても傾斜しています。
ところが年末のわずか数日で、ごっそりとこの「傾斜した更地」が無くなっていました。
JR渋谷駅に沿った道の高さに合わせた平坦な土地になっていました。
1970年代に次々とビルが建った頃は、おそらく傾斜に合わせて数階建のビルをつくることだけでも最新の工事だったのではないかと思います。
その辺りの建物には、地下部分がないものがほとんどだった記憶です。
今でも桜丘周辺はここをのぞけば、坂道に合わせてさまざまな建物が立ち並んで独特の雰囲気があります。
渋谷の風景というのは、これだと思うような。
*地下部分が増えた*
渋谷というと地下鉄銀座線が地上にふと出るあの解放感が好きだったのですが、それが渋谷の地形に理由があるという当たり前のことを知ったのがタモリさんの番組でした。
渋谷川を中心にした狭い河岸段丘に都市が広がっていったことと、どおりで渋谷には「地下が少なかった」のだということがつながりました。
今でもそれをいつも思い起こさせるのが、田園都市線のホームから上がってくると、東急フードショー横から地上にでるところに残っている、急な階段です。
一段一段の歩幅も狭く、見上げるような勾配になっています。
1977年に田園都市線が開業した頃に、おそらく当時は渋谷には珍しかった地下道の名残ではないかと思います。
当時の渋谷近辺の移動は、地上でした。
「ああ、この急な階段を上らずにこの目の前を突っ切って東急プラザまで地下道があるといいのに」と何度思ったことでしょうか。
それはまだ実現していないのですが、その後、2013年に東急東横線が副都心線とつながって地下に移動した時に渋谷ちかみちが拡大されたのでした。
あの時代に比べると、今は重機で河岸段丘さえ崩して平坦な土地にし、数十階の高さだけでなく、地下も掘り下げていく技術で渋谷の街の風景を変えているのですね。
今年は、あの元河岸段丘の更地に地下部分ができる変化を定点観測できるのでしょうか。
それが楽しみな半分、ハチ公あたりから南へ北へ、東へ西へとすり鉢状の地形から坂道を息を切らせながら歩きまわっていたセピア色の記憶を思い出せるものが減ってしまうようで、ちょっと悲しいような気持ちになっています。
河岸段丘の地形を残しながら渋谷の街は変化してほしいなと。
「10年ひとむかし」まとめはこちら。