小学生の頃だったでしょうか、授業で「日本は平地が少ない」あるいは「山が多い」と習ったのは。
そのころは、都内からとある山間部に引っ越した時期でしたからそれを実感したつもりでいました。それでも、少し沿岸部の街へ出たり東京へ行くと、平地がたくさんあるように見えましたし、テレビでみる日本各地の市街地も平らに見えますから、「平地が少ない」よりは「山が多い」ニュアンスで受け止めていました。
あちこちを散歩すると、平地と思っていた都内でさえかなりの高低差があり、地面をガーッと削って平らにした方が効率が良さそうなのに、昔の凹凸の地形そのままが利用されて建物が建っていることがわかるようになりました。
最近は、「ここは少し小高いところが昔あって、その片側を削ったのだろうな」という場所に目が行きます。
山肌が削られて、わずかの平地を得て、そこに集落が発展してきた痕跡のような場所です。
いや、むしろそういう場所の方が多いのではないかと思うほどです。
年末年始は空いた時間を使って、私が幼少の頃に過ごした武蔵野台地を歩きまわったのですが、記憶の中では平坦な土地だったのに、こんなにも起伏がある場所だったのかと驚きました。
そして、おそらくその半世紀以上前にはすでに小高い場所を削って街がつくられていた痕跡をあちこちで見つけました。
散歩を始めたころは、山が大きく削られている場所をみると気持ちが揺れましたが、もしかしたら少し前、半世紀ほど前とかはまだ、平地を広げることの方が望まれていた部分もあるのだろうか。
ふと、最近はそんなことを考えています。
そして元々の地形を変えるというのは現代に入ってからだと思い込んでいたのですが、江戸時代あるいはそれ以前から、川を付け替えたり、さまざまな土木工事で日本の地形は変えられてきたのですね。
それが、 河岸段丘が数日でなくなるほどの速さになったので、そういう点では平地をつくることも驚異的に変化している時代なのかもしれませんね。
以前だったら山が切り崩され、土がむき出しになっている場所をみると批判的な思いが強かったのですが、気持ちが大きく変わったのは南三陸町の高台にできた新しい街を見たこともきっかけでした。
迅速に平地にする技術の進歩なしにはできなかっただろうと。
どこまでが昔の地形だったのだろう。
ちょっとした段差や斜面と平地との境を見つけて歩くことで、風景が違って見えてきました。
*追記*
ブックマークで、settu-jpさんが「古代大阪の変遷:水都大阪」という資料を紹介してくださいました。ありがとうございます。「ブックマーク」をクリックすると読むことができます。すごいですね。「5世紀以降」「仁徳朝の治水事業」とありました。
昨年2月に紀伊半島の散歩からの帰り、大阪の地形も目を凝らして見ていました。ああ、また行きたい場所が増えてしまいました。
(2020年1月10日)
「境界線のあれこれ」まとめはこちら。