水のあれこれ 125 瀬田川と淀川

玉川上水への関心からようやく関東近郊、そして紀伊半島や東北、北陸、そして山陰・山陽地域の河川を頭の中にだいぶ思い浮かべられるようになったのですが、京都や大阪周辺はまだ勉強不足です。

淀川は琵琶湖とつながっていることを漠然と思い描く程度でした。

 

地図で見ると、淀川下流の河口域には11本もの鉄道が川を渡っています。山陽新幹線もそのうちの一本だと思い込んでいたのですが、よくよく見ると東海道新幹線が琵琶湖の南端で川を越えたあとは、淀川を渡ることはありません。

以前、新幹線の車窓から琵琶湖にぐんと近づいたときに渡ったあの川が淀川の上流で、その橋を渡ると新幹線は淀川の右岸を通過してそのまま神戸方面へと向かうことが、ようやくわかりました。

そして琵琶湖から流れている川は瀬田川と呼ばれ、途中で宇治川になりそして淀川になることも最近、理解できました。

そして淀川というのは、福井県との県境あたりが水源で、琵琶湖を経て大阪湾まで流路約170kmをさすことも。

小学校の社会科をやり直しの気分です。

 

あの琵琶湖から出て行く唯一の川のそばを歩く、それが今回の散歩の目的の一つでした。

 

淀川水系瀬田川

 

だいぶ前、地図でこのあたりに「水のめぐみ館アクア琵琶」があるのを見つけて、いつか行ってみたいと思っていました。

琵琶湖からの瀬田川ともう一つの川が合流するところにあります。

 

そこに行くのには、瀬田川の右岸・左岸共にバス路線があるようです。行きと帰りをそれぞれのバス路線に乗ってみよう。どんな場所だろうと楽しみにして、石山駅からバスに乗りました。

 

最初は右岸側を走る路線で、石山というくらいなので少し高い場所があるのか、次第に瀬田川へ下り坂になって川のそばに出ました。途中には石山寺があるあたりも小高い場所が続いています。

石山寺駅のそばで瀬田川河畔に出てすぐに、大津放水路を渡り、そこからは「瀬田川ぐるり散歩道」という瀬田川のすぐそばを歩ける遊歩道を見ながら瀬田川に沿って緩やかな下り坂をバスが進んで行きました。

しだいに対岸側にも次第に山が迫ってくる感じで、下流へと向かっているはずなのに、まるであの修善寺から狩野川上流へ向かう風景のようです。

 

しばらくするとまた市街地が広がり、川幅も広くなったところで、「南郷洗堰」というバス停で下車しました。

対岸に、水のめぐみ館アクア琵琶湖があります。橋を渡るのですが、瀬田川洗堰(あらいぜき)の上を通るようになっていました。

 

これは現役の洗堰で、資料館の資料ではこう説明されています。

昭和36年(1961年)に完成した2代目の洗堰です。水門は全開・全閉ともに電動で約30分で操作できますが、開け閉めの際の巡視や点検などは今でも人の手によって行われています。琵琶湖・淀川流域の人々の生活を守る重要な働きをしています。

 

私が生まれた頃に建設された洗堰のさまざまな装置を、すぐそばに見ながら渡ることができます。

 

水に関心が出てあちこちを散歩していると、「堰」と名のつく場所を歩く機会が増えました。なんとなくわかった気分だったのですが、「洗堰」とは何かあんがい知らないものです。

水流を横切って、川幅いっぱいに石を詰めて作る堰。川の流れを変え、または水位や水量を調節する目的のものと、灌漑給水の取り入れ口に構築するものとがあった。(コトバンク

 

 

地図で見ると瀬田川から宇治川にかけては細い水色になっています。そして、八幡市あたりで木津川と桂川が合流して大きな淀川になります。

この下流の複雑な流れと、上流のこの細く蛇行した部分の水の調整はどんな歴史があったのだろう。

 

そんなことを考えながら、瀬田川洗堰を渡りました。

 

 

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