行間を読む 87 伊吹山の年表

琵琶湖に向かった1日目は関ヶ原の周辺の山でさえ雪がない風景でしたが、一夜明けると伊吹山は中腹まで白くなっていました。

もし、前日にすでに積雪があれば「あの雪のある高い山はなんという山だろう」と気にしていたかもしれません。

 

ぐるりと琵琶湖を一周して次第にその伊吹山が近づいて見えるようになったときに、あっと息を飲みました。

南西側が切り立つような山だと思っていたのは、あの武甲山と同じで山が削られていたのでした。

伊吹山もまた「古くから神が宿る山として信仰の対象」だったと書かれています。

 

いつ、あの姿になっていったのでしょうか。

Wikipediaの年表には、一行だけ書かれています。

1952年(昭和27年)6月ー大阪セメント伊吹工場が石灰岩の伊吹鉱山の操業を開始する。

年表のそのすぐ前には、1950年(昭和25年)に「山腹周辺が琵琶湖国定公園の保護地区に指定される」と書かれています。

その頃の状況はどんな感じだったのでしょうか。

 

伊吹山鉱山と緑化工事*

 

入江内湖の干拓地を歩くと、どこからでもずっと伊吹山に見守られている感じです。

その西南側にある採掘跡も痛々しく見えるのですが、それでも美しい山です。

 

ただ、遠目に見ているだけでは気づかなかったのですが、琵琶湖・淀川 里の川をめぐる〜ちょっと大人の散策ブック~に緑化工事が行われていることが書かれていました。

ちなみに、琵琶湖集水域の最高峰である伊吹山(1,377m)の岩体は石灰岩である。東海道新幹線から近畿圏に入る関ヶ原辺りで、西南斜面を大きく削り取られて無残な姿をさらけ出した山体が車窓に飛び込んでくる。1990年代までセメントや消石灰などの原料として石灰岩を切り崩した痕で、今も緑化工事が行われている。

 

検索すると、1971年から緑化工事が行われてきたようです。

武甲山資料館の設立経緯と同じく、この緑化事業も関連企業によるもののようです。

 

こうした産業なしにはここまで発展しなかったであろう、日本の半世紀ほどの繁栄を思い返しています。

私自身も恩恵を受けてきた側であることを自覚して、歴史の行間を読めるようにならなければと思ったのでした。

 

 

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