行間を読む 88 安全を支え、安全を追求する

東海道新幹線の全般検査を実施するJR東海浜松工場ですが、記事では「東海道新幹線の安全・安定輸送の心臓部」と書かれています。

それくらい重要な施設ですから、新幹線に特化されたハイテクの工場が以前から稼働しているのかと思ったら、こう書かれていました。

おもな建物や施設を耐震性の高いものに一新するとともに、工場内のレイアウトを抜本的に改める工事が2010年に始まり、2017年1月5日から新しいラインで新幹線電車の全般検査がスタートした(全ての工事が完了したのは2019年3月)。これにより、浜松工場は「長い歴史を持ちながらも最新の工場」に生まれ変わったのである。

 

「浜松工場の特徴」に、その「長い歴史」の意味が書かれていました。

 浜松工場の特徴は、新幹線の検修施設で唯一、在来線用の施設を新幹線に転用した点にある。浜松工場は1912(大正元)年に発足した、長い歴史をもつ施設だ。

 

*世界の高速鉄道の一丁目一番地*

 

現在の浜松工場工場長、小俣裕一氏のインタビュー記事で、「東海道新幹線は、世界の高速鉄道の一丁目一番地ですから、世界最高品質の車両を提供するのが、ここ浜松工場の使命だと思っています」と書かれています。

 

ここだけを読むと、注目が集まる華々しい最先端の分野の誇りのような印象に見えますが、その先に大事なことが書かれていました。

浜松工場ではたらく社員に自覚と誇りを持ってもらうため、社員には浜松工場の歴史の話をするようにしています。ここは大正元年東海道本線における新橋・沼津に次ぐ機関車の修繕工場として3つ目の工場として開設されたところで、令和元年11月で108年目に入りました。蒸気機関車の修繕から始まり、のちに海外から部品を輸入し、機関車を組み立てることまでしています。

当時の先輩たちは英語の図面を見ながら、蒸気機関車を組み立てていたわけです。その技術を積み上げていき、D51形をはじめとした蒸気機関車を組み立てるまでに至りました。D51形 だけでも69両も新造していて。当時の国内の鉄道工場で最多数だと記録に残っています。

「モノづくり」のノウハウを身につけて、電気機関車やデイーゼル機関車、電車のオーバーホールを手がけるようになりました。そして東海道新幹線開業に合わせて初の高速鉄道の車両工場として機能することになったわけです。

 

なぜ今、私がこうした本や文章に惹きつけられているのだろうと、少し目の前が開けるような話でした。

 

 

医療も80年代90年代以降、驚異的に変化する時代に入りましたから、最先端の医療のようなイメージに惹きつけられがちです。

確かに新しい治療法や医療機器が増えたけれど、実際には80年代あたりの治療法やケアの延長上にあるという感じ、さらにいえば近代医学の延長上にあるのだという感覚が、私自身は日増しに強くなっています。

それはいつの時代にも、そしてどの分野でも、次の世代にバトンを渡していく人たちによって積み上げた歴史の上にある、とも言えるのかもしれません。

 

 

「新幹線EX」という雑誌と一緒にもう一冊、「消散 軌道風景  あなたの知らない鉄道考古学」(イカロス出版、2020年2月)を購入しました。

最先端の新幹線とは対照的で、トロッコ蒸気機関車あるいは都電といった昔の鉄道の写真やそれを支えてきた会社などが紹介されています。

 

一見、役割は終わったかのような風景の写真です。

でも、なぜか新幹線と同様に心が惹かれるのです。

 

それは安全を支え、安全を追求するという歴史に対して、共感が強くなってきたのかもしれません。

 

 

「行間を読む」まとめはこちら