水の神様を訪ねる 5 荒川放水路と氷川神社

北千住のあたりには、氷川神社がいくつかあります。

1月下旬、よく晴れた日の午後、そのあたりを歩いてみようと思い立ちました。電車とバスを使えば、3時間ぐらいで6ヶ所の神社を回れそうです。

 

北千住駅で降りて、最初の氷川神社へ向かいましたが、さっそく道を間違えました。

なんども地図を見ていたので頭に入っていたはずですが、通りを二本行き過ぎて、日光街道まで出てしまいました。ここでGPSをオンにして地図を眺めて歩くことにしました。

でも道を間違えたおかげで、焼きたての鯛焼きを購入しました。散歩の途中でお腹が空くに違いないので、荒川の土手の上で食べようと思いました。

 

再び駅の方向へ向かい、小さいけれど活気のある商店街の中を歩いて、ひとつ目の氷川神社です。

大きな木に囲まれて、静かな境内でした。

千住本氷川神社旧社殿

 千住本氷川神社は、徳治二年(1307)に千葉氏によって、牛田に千葉山西光院と共に、氷川神社として創建されたという。 

 千住が宿場町として栄え始めた江戸時代の初期、現在地に地主の土地奉納によって分社が建てられた。その後、明治四十三年(1910)荒川放水路建設のため、牛田氷川神社を合祀し、さらに昭和四十五年に社殿を新築したため、旧社殿は末社として保存されている。

 旧社殿向拝は、千鳥破風、その全面が唐破風となり、二重の破風を形成し、頭貫や虹梁の部分には、龍や鳥類の彫刻が目立っている。本殿は方一間(1.8メートル)あまりの木造で、切り妻造りの平入り形式をなし、屋根は箱棟こけらぶきで、勾配が美しい曲線を呈している。軒回りは二重棰(たるき)となり、組物も巧緻で処々に彫刻が施され、趣のある社殿である。

 

次は、いったん駅の方向へ戻り、線路沿いにある千住四丁目氷川神社へ向かいました。

この氷川神社の由来は見つけられませんでしたが、天満宮が合祀されている説明がありました。

 高正天満宮縁起碑

 氷川神社内に合祀される高正天満宮の縁起を示す碑である。千住四丁目の名主高梨氏の系譜、高正天満宮の由来について詳しく述べている。

 千住四丁目の名主高梨信平は地域の子供たちに読み書きなどを教えていた。縁故を頼って屋敷内に住むことになった正木昌房に、老齢の信平は子弟教育を託し、代々信奉していた菅原道真の像を譲った。正木氏はそれよりこの像を家神として祀り、子弟教育を家業とするようになった。

 昌房の死後、正木建はこの菅原道真像を個人で祀るより、氏神社内で祀ることを思い立ち、高梨氏と正木氏とに関わるこの神を高正天満宮と号することにしたという。

 正木氏は、昌房以来、代々寺子屋「群雀堂(ぐんじゃくどう)」の経営にあたり、二代目塾主、大助(正木檪蔭)の代には大いに発展し、来塾するものが毎日百人ほどもいたという。

 元治元年(1864)に建立されたこの碑は、三代目正木建の撰文によるものであり、天満宮の由来はもとより、寺子屋開塾に至る経緯が伺われる貴重な資料である。

 

それぞれの街の歴史を知ることができて、神社めぐりというのは勉強になります。

 

 *荒川放水路と神社の引越し*

 

次に向かったのは、荒川堤防のすぐそばにある大川町氷川神社です。

境内には大きな木があり、古い神社かと思ったら、こんな説明がありました。

当社は、荒川放水路の開削時にこの地へ移りました。樹々もその時植えられた物です。落葉樹が多いため維持管理は大変ですが、夏の木陰や秋の紅葉は素晴らしいものです。神社とともに大切にしたいと思います。 

 

「旧千住新橋の標柱」という説明もありました。

 この石柱は、旧千住新橋の親柱である。

 千住新橋は、明治四十四年から荒川放水路の大改修計画の一環として、大正九年より同十三年までの永い歳月と、百十九万円を費やして完成したものである。橋の構造、規模は、長さ四五二・七メートル、幅七・二メートル、鋼板桁の近代橋であった。

 その後昭和二十二年に幅十七メートルに拡幅され、東北地方への玄関口として機能を果たしてきたが、堤防の嵩上げ、著しい橋桁の老朽化、さらに交通量の増大などで架け替えをすることとなったのである。

 架け替えに当たり永年親しんできた旧千住橋の標柱を大川町東町会の要請により、氷川神社の協賛を得て記念のためにこの地へ移したものである。

 

お正月に地図を眺めながら氷川神社を書き出していた時に、荒川の水の神様だけれど下流域では少なくて、この北千住あたりからはほとんど見つけられなかったのは、荒川放水路の開削と関係があるのでしょうか。

他にも引越しされた水の神様がいらっしゃるかもしれませんね。

 

敷地の隣には、何かはわからないのですが水道局の施設がありました。

 

 

ここから荒川の堤防へと上がり、荒川を見ながらの散歩の予定でした。

次第に川風が強くなってきました。お天気は良いのに、堤防の上では吹き飛ばされそうな風とあまりの寒さに鯛焼きを食べるどころではなくなり、宮城氷川神社まで歩くのは断念して舎人ライナーに乗って対岸へ。足立区江北にある氷川神社まで歩いた後、バスで西新井まで出てから帰宅しました。

 

バスの車窓から、西新井大師の前にも氷川神社があるのを見つけました。

あと3カ所ほど、足立区には氷川神社があります。荒川放水路開削前後のこの地域の変化の痕跡を見つけられるかもしれません。

 

 

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