散歩をする 218 瀬田川から信楽へ

岡山から広島の散歩から帰って数日後、3月初めの頃にみどりの窓口でチケットを購入しました。普段なら少なくとも数人ぐらいは待つのに、誰もいません。さらに京都駅での飲み物の引き換え券までいただきました。ひっそりした京都の様子が、ニュースでも伝えられていた時期でした。

 

6時23分品川発ののぞみ3号に乗りました。いつもだと窓側はほとんど人が座っている時刻なのですが、自由席もガラガラ、指定席は1車両に数人でした。

京都で降りて、そこから琵琶湖線滋賀県の石山に戻ります。1月に泊まった大津に今夜も泊まる予定にしていたのですが、新幹線でその大津をすぎ、そしてまた京都から同じ道を戻るように大津の前を通過して石山に向いました。やはり大津というのは京都に近いのですね。

 

瀬田川沿いに大石まで*

 

石山駅からじきに瀬田川沿いに出て、バスは河畔沿いを走ります。晴天でキラキラと輝く水面に白の水鳥の姿が映え、そして大学生のレガッタのチームが練習をしていました。この辺りはまだ水の流れもゆったりとしています。

南郷洗堰を過ぎ、大戸川との合流点をすぎると、両側の山が近づき渓谷の様相になりました。

大きな岩肌が見え、河床の岩が露出した場所を、先ほどまでと同じ水とは思えない川の流れになり、大石に到着しました。この風景が、「大石」の地名の由来だったのでしょうか。

左岸から信楽川がこの大石で合流しています。

 

瀬田川の川沿いを歩き、近くの佐久奈度神社を訪ねてみました。渓谷のような場所から少しひらけて、ちょうど信楽川との合流付近の少し高い場所に建っていますから、このふたつの水がぶつかり合うのを治める水の神様かと思いました。「天智天皇8年(669年)勅願により」とさらりと書いてあり、歴史の長い神社のようです。

ところが、神社のHPを読むと、天ヶ瀬ダム建設により現在の場所に移転したようです。

現境内地は昭和39年に下流天ヶ瀬ダム建設に伴い、旧境内地が水没し移転したもの 

 ここから7~8km下流天ヶ瀬ダムがあります。

 

瀬田川とはどこまでを指すのだろうか*

 

1月に琵琶湖とその流出河川である瀬田川を訪ねたことで、この川についての知識が増えました。淀川水系についてもだいぶ頭の中で思い浮かべられるようになりました。

 

ところが、琵琶湖から始まる瀬田川はどこまでで、どこからが宇治川なのだろうと地図を眺めていると、案外わからないものです。

この大石から3kmぐらい下流に行くと、川の真ん中に府県境が敷かれている区間が3kmほど続いています。

左岸側の川の半分は瀬田川で、右岸側は宇治川と呼ぶのでしょうか?

川の中の境界線が気になっています。

 

信楽川沿いに信楽駅へ*

 

瀬田川を中心にした大石ですが、山間部の小さな町かと思ったら、スポーツセンターがあってテニスをする人たちで賑わっていました。

 

大石小学校前の停留所から甲賀市のコミュニテイバスに乗り、信楽駅へ向かいました。

地図で見ると20kmぐらい離れている場所をつないでいるバスです。

バスに乗った頃から、それまで晴天だったのがポツリポツリと雨が落ちてきて、しばらくすると本降りになりました。山が近いと天候が変わりやすいですね。

信楽川に沿って山の方へと入っていきます。途中、朝宮茶の看板が立っていて、お茶が栽培されていました。この辺りが分水嶺のようです。

 

信楽川といっても、信楽駅のあるまちの中心部には向かわず、瀬田川の方へと流れているようです。分水嶺を超えると、途中からまた川のそばをバスが走るようになりましたが、この川は北部の山あいを迂回するように流れて、あの大戸川に合流して瀬田川へと流れるようです。

琵琶湖周辺の河川の流れは単純ではないですね。

 

しだいに道路沿いに狸の置物が増えて、観光客らしき人の姿も増えてきました。50分ほど、300円のコミュニテイバスの旅でしたが、瀬田川の支流を見ることができました。

陶芸のお店はちょっと素通りして、信楽駅周辺の川を眺めてから信楽線に乗りました。

 

 

同じ頃、ブラタモリ甲賀市について放送していました。偶然にうれしくなりながら、録画しておいたものを帰宅してから見たのでした。そういう視点があったのかと、いつも勉強になる番組です。

 

 

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