散歩をする  220 琵琶湖疏水を歩く

大津京から宿泊する大津のホテルに到着したのが18時すぎで、まだ夕暮れ前でした。3月に入ると日が長くなりますね。

ホテルの窓から、夕闇迫る琵琶湖の変化を眺めていました。1月に来た時にはたしかに蓬莱山や伊吹山が見えたのですが、今回は霞んでいるのか見えませんでした。

暗くなっても街灯やビルの灯りが見えるので琵琶湖の沿岸がわかるのですが、電気がなかった時代の夜景という水辺も陸もわからなかったことを想像すると、ちょっと怖くなりました。

 

翌朝、また5時前から起きて窓の外を眺めました。ホテルのそばに線路があり、5時ごろから数分ごとに貨物列車が通っている懐かしい音が聞こえていました。

 

散歩の2日目琵琶湖疏水宇治川を歩きます。

 

*京阪京津線で蹴上へ*

 

地図ではぐるりと鉄道が一周しているだけでなく、よくよく見るといろいろな鉄道があることも琵琶湖の魅力かもしれません。

1月に訪ねた時に乗れなかった近江線や京阪線を、今回はできるだけ乗ってみるように計画しました。

 

朝、ホテルを出発し、10分ほど歩いて京阪京津線上栄町駅から京都方面への電車に乗りました。

浜大津駅からこの上栄町までの市街地は路面電車で、ここからは電車になります。

 

古いお寺や大津市の落ち着いた街の合間を走るとすぐに短いトンネルがあり、抜けると大谷駅で、まさに山と山に挟まれたところを通っています。隣に見えた道路を見たら、国道1号線でした。

今まではJRで滋賀と京都の府県境を通過していたので、長いトンネルしか知らなかったのですが、昔はこの道を通って京都と行き来していたのですね。

 

1月に琵琶湖疏水を訪ねた時に降りた山科駅で、今回は東西線に乗り換えて蹴上で降りました。ところで、京都近辺の地名は読めないものが多く、「陵(みささぎ)」もそうでしたがこの「蹴上」も「けりあげ」かと思ったら「けあげ」でした。

地名の由来はなんだろうと検索したら、こんなことが書かれていました。

京都府京都市の市街地東部、東山の山麓部の一地区。東山区左京区にまたがる。地名は、源義経金売吉次と奥州に向かった際、美濃の武士の一人が湧水を蹴り上げたことが原因で争うになったことに由来する。(コトバンク:ブリタニカ国際大百科事典)

「湧水を蹴り上げたことが原因で争い」、水争いとは無縁の現代人には状況が想像できませんね。

 

琵琶湖疏水記念館から鴨川まで*

 

蹴上駅で降りて地上に出ると、真上は京都市の蹴上浄水場でした。目の前に蹴上インクラインがあり、少し上流へ歩いてみると九条山浄水場ポンプ場があり、その近くに「ここは本願寺の水源地です」という標識がありました。

 

琵琶湖疏水の蹴上船溜りからインクラインに沿ってしばらく行くと、水路の部分が始まります。幅は数メートルもないのに、途中で発電施設からの水が合流し、ちょっと足がすくむような水流になっていきました。あの玉川上水人喰い川と呼ばれていたことを思い出しました。

 

しばらくすると貯水池のような場所になり、ここが南禅寺船溜りで、そばに琵琶湖疏水記念館があります。3月に入っていたので休館だと思っていたら、開いていました。誰もいない中で、ゆっくりと説明を読むことができました。

 

ここから疏水はいったん西へ向かってまっすぐに浅い流れになり、京都国立近代美術館の先で直角に北へ曲がり、また少し先の平安神宮のそばでもう一度直角に曲がります。

地図で眺めていた時にここがとても気になり、ぜひ歩いて見たいと思ったのでした。

 

実際に歩いてみると、近代美術館の先は緩やかな下りになっていることがわかりました。おそらく平安神宮などがあるところがやや高台で、その高い位置で上水を流すためにこのような形になったのだろうと想像しました。

 

平安神宮から鴨川に向かう疏水のそばに、もう一つ船溜りがあり、そこに発電所がありました。

発電所を過ぎると冷泉放水口があり、道路を隔てたところに鴨川が流れています。

 

琵琶湖からの水を京都に無駄なく流し、水道水と発電用に利用するのですから、少し歩いただけでも壮大な計画だったことを実感しました。

この冷泉放水口から宇治川まで、暗渠部分も含めて琵琶湖疏水はまだ続くようです。

 

 

とてもその全てを歩くことも、歴史の全貌を知ることも無理そうですが、せっかくなので琵琶湖疏水宇治川に流れ込むところも訪ねてみることにしました。

 

 

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