記憶についてのあれこれ 156 意識がなくなり無意識に動いていた?

テレビから文字スーパーが消え、東京も休業要請が「ステップ2」になり、待ちに待ったプールの再開です。

まだ、都内でも休業中のプールもありますが、久しぶりに泳ぎに行きました。3月27日以来なので約9週間ぶりです。

たぶん1年とか2年ぐらい泳いでいない日が続いても大丈夫と、自分に言い聞かせていたのですが、やっぱり以前のように泳げるかなあとドキドキしながらプールへ向かいました。

 

体温測定して入場カードを記入するとか、ロッカーがひとつおきにしか使えないようになっているとか、使用前後にロッカーを消毒薬で拭くとか、だいぶ雰囲気とシステムが変わっていました。

いつもどおり、プールサイドで念入りに準備体操をしていざプールへ。

 

あんがい9週間のブランクもなく体が浮いて、泳げました。やはり体が覚えているものですね。

 

ところが、帰宅途中の電車内のことなどは覚えているのですが、泳いでいる間のことや何時にプールを出たかあたりの記憶までが霞の中のようにぼんやりしているのです。

いつもなら、だいたいの感覚で何メートル泳いだまで計算しているのですが。

そして愕然としたのは、スーパーで買い物をして帰宅したあと、自分で購入した記憶にない食材が入っていました。

すわ、受診が必要かとけっこう動揺しました。

 

翌日、また泳ぎに行ったのですが、今度は細かな状況も思い出せます。

途中からどんな人がコースに入ってきて、どのように泳ぐペースを変えたかまでも思い出せますし、手足の動きや、途中で疲れが出てきて泳ぎ方がバラバラになってきたあたりもちゃんと覚えています。

そのあと、どこへ寄って何を買って帰ったかという詳細も覚えています。

あの自分で手に取った記憶のない食材をどのように調理したかも、美味しく食べたことも覚えています。

いつも通りだった、とホッとしました。

 

初日のあれはなんだったのだろうと、不思議です。

陸上での行動ばかりだったのが、久しぶりに水に入り、やはり水中の運動というのは全く別の負荷があって、一瞬、意識が落ちながら無意識に泳いでいたのでしょうか。

それとも、非日常過ぎた時間から突然緊張が解けて、元の生活に戻るギャップのようなものだったのでしょうか。

 

もしかしたら終戦直後とか、大災害からの復興過程とかで、こうした意識が飛んだような経験をお持ちのかたもいらっしゃるかもしれませんね。

2ヶ月ほど家にいるだけでなんとかやり過ごせた気がしていたのですが、けっこう精神的に何か変化をもたらしていたのかもしれません。

 

 記憶とは不思議なものだと、また新たな経験でした。

 

 

 

 

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