今回の未曾有の感染症の広がりが少し落ち着き始めてきた頃、「ああ、まるで出エジプト記だ」と思うことがしばしばありました。
20代の頃から何度も読んできた出エジプト記ですが、最初の頃は、歴史を題材にした物語にしか感じられないものでした。
なぜこれが「聖書」なのだろうと不思議でした。
そのうちに、「聖書」とは人間の失敗を綴っているのではないかと思うようになって、少し見方が変わってきました。
それでも、この出エジプト記はなんだかできすぎた話のようで、信仰のためにはこれくらい印象的な物語が必要なのだと思っていました。
その物語だと思っていたことが、現実の人間の姿だったとは。
*民はモーセに向かって不満を述べた*
エジプトの王ファラオの厳しい奴隷生活から同胞を解放したモーセに率いられ、荒野へと向かったユダヤの民は、自由と引き換えに水や食べ物が得られないことに不満を言い始めます。
そして「奴隷の方がましだった」とさえ。
今までは、このシーンをただ「自由を得たのに不満に心をくもらす」ぐらいの表面的にしか理解していませんでした。
現実にそのような状況に当てはまることが思い浮かばないままでした。
この数ヶ月、誰もが経験したことのない状況を乗り越えたというときに、「自粛は必要がなかったのではないか」「やりすぎではなかったか」と捉える人たちをみて、現代の出エジプト記であり、あれは物語ではなくいつの時代にも繰り返しておこることだったのだと思いました。
不満や批判を言うことが問題なのではなく、あったことをなかったかのように思い込み、未曾有の事態に向かってそこから民を解放しようと責任を負った人たちの背中を後から撃つ。
それがあのシーンだったのだと。
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