水の神様を訪ねる 12 谷端川

1960年代前半に池袋から丸ノ内線に乗った記憶がなぜか残っています。私の地下鉄の最初の記憶でもあり、池袋というと丸ノ内線という記憶です。

 

70年代終わり頃から都内に再び住むようになって、当時はまだそれほど複雑な鉄道網ではなかったので、渋谷から新宿、渋谷から池袋あたりで買い物をしていました。

その頃ちょうどできたサンシャインビルまで、池袋駅から少し離れている道を「遠いなあ」と歩いていた記憶があります。サンシャインビルは巣鴨プリズンの跡地にできたというのは、当時耳にしました。

第二次世界大戦で戦犯とされた人が処刑された場所が30年後に商業施設になったのですが、当時20歳前後だった私には当然、遠い歴史上の場所でしかありませんでした。

 

そして池袋というと、あのまだ再開発中だったサンシャインシティ周辺の広大な平地の記憶があります。

私にとっては、池袋というのは高低差のほとんどない場所のイメージです。

 

そんな平らなイメージの場所に、あの豊玉南と同じように氷川神社があります。石神井川神田川とも離れています。

その西側に、山手通りに沿って暗渠らしい場所が描かれていて、それをずっとたどって行くと「谷端川南公園」がありました。

急に地図が立体的に見えてきました。6月初旬、ここを歩いてみることにしました。

 

* 谷端川緑道と池袋氷川神社

 

散歩のスタートは椎名町駅で、まず目の前の長崎神社を訪ねてみました。この境内は緩やかな斜面になっていて、これも谷端川が作り出した地形かもしれないと想像しながら緑道へ向かいました。

 

緑道は茶色のタイル張りになっていて、ところどころに親水公園がつくられていたり、ベンチがありました。おそらく、できた当時はモダンな遊歩道だったのではないかと思いました。

近所の住民の方々が沿道に植物を植えているので、歩きながらも飽きることがありません。ただ、ちょっと残念だったのは緑道がゴミ置き場としても活用されていることでした。土地の少ない都会では仕方がないのですけれど。

 

右岸側の方が少し高台になり、緑道はその昔からの地形に沿って蛇行しています。

川越街道を超えると、池袋氷川神社の鎮守の杜が近づいてきました。小高い場所で、坂道を登ったところにありました。

 

「御由緒」には池袋村の鎮守であったこととともに池袋の由来が書かれていました。

池袋の名は、今から四百三十年前の室町時代 永禄二年(西暦千五百五十九年)の「小田原衆所領役帳」に「武州豊島郡池袋村」と書かれ、当時の長崎 菅面(巣鴨) 雑司が谷 高田とともに当時すでに村が形成されていたことが記録されています。

 

*谷端川の歴史*

Wikipedia谷端川(やばたがわ)がまとめられていました。

東京都豊島区千早と豊島区要町の境界付近にある粟島神社境内の弁天池が水源である。千川上水の長崎村分水が現在の有楽町線千川駅付近から樋で落とされ、粟島神社の湧水先で谷端川に合わせて南流する。

あの玉川上水から分水された千川上水がこの辺りまで潤していたのですね。

もともと谷端川は粟島神社の弁天池などの湧水を集めて流れる細流であったが、千川上水の余水を流し込むようになってから水量が急激に増えた。それに伴って全流域で水田の開拓が行われ、水田耕地が増えた。

 

現在の遊歩道は下水幹線の暗渠のようですが、谷端川の改修の歴史を読むとすでに大正末期に始まっているようです。

谷端川は大雨のたびに溢れる川で、流域の都市化とともに改修されていった。1924年7月、谷端川の水量調節のために石神井川への放水路が開削された。谷端川増水時には、板橋駅の北脇で赤羽線を越えたところから、赤羽線の東側を線路に沿って北に向かい、橋梁の脇から石神井川に流れ込むようになった、1928年には東京市会が千川(谷端川下流部)の大改修を議決し、1934年に下流部を鉄筋コンクリートの暗渠にし、その上を幅員18mの道路とする総延長3,272mの下水工事が竣工した。 

 

上流域も都市化とともに工場排水や生活排水のため水質が悪化し、1958年には全域暗渠計画実現のための猛運動が展開され始めた。1962年に河川としての谷端川は廃止され、1964年ごろまでに全区間が暗渠の下水道となった。また、1959年の狩野川台風でも谷端川上流部は洪水を起こし、1965年に下板橋付近から北に向かって石神井川に流れ込む第二排水路が開通した。 

 

私が「死の川」と呼ばれた水の中を自衛官に助けられた頃に、住民運動によって暗渠化されていたようです。

 

水が少なかった時代から千川上水によって水田が開発され、集落が広がり、川は下水幹線となり暗渠化されて緑道になった。

小高い位置から、池袋氷川神社はその変遷を見てきたのですね。

 

緑道近くの山手通りの交差点に「金井窪」とありました。このあたりの地形が「池」「袋」の地名の由来かと閃いたのですが、池袋の地名の由来を読むと違うようです。

 

 

「水の神様を訪ねる」まとめはこちら

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