水の神様を訪ねる 13 大谷口氷川神社と配水塔

椎名町から池袋氷川神社までは小一時間で行けそうでしたら、計画の段階でもう少しどこかを歩いてみようと探しました。

千川駅の近くに千川親水公園があり、おそらく千川上水に関係していると想像できたので、そのあたりまで歩いてみようというのが最初の計画でした。ところが地図を見ても、水色の水路も暗渠や緑道らしき場所もなさそうです。

と、その北西の方向に氷川神社があり、小竹向原駅の手前に暗渠になった歩道らしき場所があるのを見つけました。

ここを訪ねてみようと決めたのでした。

 

池袋氷川神社から西へと「さいわい通り」というまっすぐな道路があり、そこをただただ歩きました。まっすぐで広く整備された道路は車の往来には良いのですが、歩くには目的地が遠く感じるものです。

途中で少し後悔し始めたのですが、池袋行きのバスで戻るには残念すぎるのでそのまま歩いてみました。

そのさいわい通りが終わる手前あたりから、おそらく昔の農地が細切れに住宅地になったのだろうと思うような、道路が入り組んだ場所になりました。一本道を間違うと遠回りになりそうな複雑な道で、俄然、やる気が出てきました。

 

住宅が密集していて、隣近所の家の中の話し声やテレビの声も聞こえてきます。アパートには猫がたくさん住み着いていたり、空き地が残っていたり、ちょっと昔懐かしい場所を歩いてふと顔をあげると、目の前に大きな塔がありました。

大谷口配水塔でした。計画の段階で、地図では見落としていましたから、まさかここで水道の施設に出会うとは。

大谷口配水塔(おおやぐちはいすいとう、英称Oyaguchi standpine)は、東京都板橋区大谷口にある荒玉水道大谷口給水場(現:大谷口給水所)にあった配水塔である。

高さ約33mの鉄筋コンクリート造の円筒の上に大小二つのドームが載る意匠を特徴とする。1931年に完成し、配水塔として1972年7月31日まで使用された。完成当時の周辺は畑田圃が多く、近隣上板橋村各戸への給水ではなく王子・滝野川方面の製紙工場への配水が主であった。

あの荒玉水道を通って、多摩川の水がこの辺りまで配水されていたのですね。

王子・滝野川なら目の前に荒川があるのですが、荒川放水路が完成したのが1930年ですから、それまでは荒川河岸には水道施設を造ることもできなかったということでしょうか。

 

大谷口から小竹向原へ*

給水施設というのは、駒沢給水塔や足羽山揚水ポンプ場、あるいは横浜の水道記念館から野毛山までのように、高低差を利用した場所にあることが理解できるようになりました。

ところが大谷口配水塔は、池袋側から歩くと平地に突如として現れる感じでした。

 

もしかしたら「大谷口」というくらいなので、この先に崖のような場所があるかもしれません。

配水塔の前の交差点を渡って大谷口氷川神社へと向かう道の途中から、予想どおり下り坂になり、大谷口氷川神社はまさに崖のような場所に建っていました。

 

Wikipediaの「大谷口(板橋)」の地名の由来には、「石神井川湾曲地点の地形を表したもの」と書かれていました。

大谷口氷川神社石神井川のちょうど対岸のあたりに、板橋区東新町の氷川神社があります。

 

石神井川がつくりだした地形を感じながら、小竹向原駅から地下鉄に乗って帰りました。

そうそう、駅に入る階段の東側をみると「向原」の高台の下をトンネルが通っていました。

暗渠化された水路は、ちょうどこの高台の脇を通っているようです。

 

 

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