淀川放水路から分岐する旧淀川には遊歩道が整備されていて、小雨降る中でもけっこうな人とすれ違いました。
遊歩道の途中に、大阪市の上水道発祥の地の記念碑がありました。
当時の水源地はこのあたり一帯(約十万三千平方米)に設けられた。
前方の煉瓦造りの桝はその取水施設の一部である。
大阪市水道通水八十周年にあたり創設時の施設の一部として保存するものである。
昭和五十年十一月 大阪市水道局
明治二十八年ということは、淀川改修工事が始まる前年ですね。
水道もでき、水害にも対応していこうという当時の雰囲気はどんな感じだったのでしょうか。
雨脚が強くなり途中の桜ノ宮駅から大阪に戻ったので、少しスケジュールに余裕ができました。
*大和川*
淀川放水路の次は、大和川を見に行く計画です。
昨年2月に木曽三川と熊野川、そして紀伊半島をぐるりとまわりました。旅も終わりごろ、和歌山市を通過する頃は夕闇が迫っていて、残念ながら大阪に入った頃は車窓の外は真っ暗でした。
その辺りはどんな場所なのだろうと気になって地図を眺めると、一本の川の左岸側(南側)だけ水色の場所が点在しています。古墳が多いのは知っていましたが、溜池が多いのはなぜだろうと気になって、いつか行く散歩の計画ができあがっていました。
ただ、そのあたりをじっくりと見て歩くとすると、丸一日は確保したいところです。
5月にブラタモリの「法隆寺」の再放送があり、その川が奈良から堺を結ぶ川であることとつながりました。そういえば奈良県内の川の地図は頭にありません。
なんどもその川をたどって見ていくうちに、法隆寺駅の近くで奈良盆地のあちこちからの川が合流していることを知りました。地名もそのものずばり、「川合」です。
Wikipediaの大和川の「地理・概要」にもその様子が書かれています。
奈良県桜井市の北東部、貝ヶ平山(かいがひら山、標高822m)近辺を源流としており、上流部では初瀬川と称される。奈良盆地を西に向かって流れつつ、佐保川、曽我川、葛城皮、高田川、竜田川、富雄川など盆地内の大半の河川を生駒山系の手前まで合わせる。生駒山系と葛城山系の間を抜けて、大阪平野に出ると柏原市で南河内を流れてきた石川と合流してまっすぐ西へと流れ、大阪市と堺市の間で大阪湾に流れ込んでいる。
この川が合わさりあう「川合」という地域を歩いてみたい。
そして生駒山系と葛城山系の間を流れる大和川をみてみたい。奈良時代の人たちが眺めたように。
地図を見ると奈良県に入ってすぐに大和川が大きく蛇行する場所があり、そこに久度神社があります。おそらくそこに立てば山と山の間を流れる大和川を見ることができるのではないかと、計画が決まったのでした。
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