1年ほど前でしたか、ちょっと遠出の散歩のために早朝の電車に乗りました。
目の前に怪しい姿の若い男性がいました。レジ袋の取っ手を両耳に引っ掛けているのです。吐物と酔っ払いを避けて出勤する週末ではなく平日でしたから、不意打ちでした。
気分悪いのなら駅構内に入らなければいいのにと思いつつ、ちゃんとエチケット袋を持っていたことには偉いと思いました。しかも両耳にかけて使うなんてアイデアに「その手があったか」と。
なんだか狙い撃ちされてしまったレジ袋ですが、私は常時2~3枚を小さく折りたたんで持って歩いています。
いえ、二日酔いのためではないのですが、年齢的にもこれからいつなんどきどこで体調を崩すかわからないので、耳にはかけないけれど冒頭の男性と同じ利用方法も想定しています。
普段は濡れた折り畳み傘を入れたり、けっこう使い道があります。
コンビニや書店でたまった袋はすぐに小さくたたんで利用し、最後はゴミ袋になって可燃ゴミになるか、プラスチックの資源ゴミとして出しています。
けっこう、うまく3R(リデュース、リユース、リサイクル)していたと思っていました。
外出先でも分別していましたし、ゴミが川や海へ流されてしまわないように気をつけています。
30年前にに比べれば、野菜の保存袋をはじめ、食品や日用品の保存性や環境に対する製造側の工夫のおかげで家でのゴミの量は格段に減りました。
80年代から90年代初め頃は、当時のゴミ焼却場の機能からゴミ袋は炭カル入りの指定されたものを購入していましたが、最近では可燃物として焼却できる範囲が増えました。
ゴミ戦争と言われた時代が、はるか遠いことになりました。
物もなければゴミもないに書いたように、エコバッグがで始めた90年代初めの頃は、袋や包装を断ると迷惑そうにされていたことを思えば、今ではスーパーでも当たり前のようにエコバッグを使う人が増えて意識が変わりました。
ただ当時の「万引きに間違われるのでは」という不安は、現実にあるようで、「袋有料化で増加"エコバッグ万引き"店悲鳴」(7月29日、日テレ)というニュースもありました。
*どれだけ良い方向になっていたのか、それがどれだけ壊れたのか*
そしてレジ袋の品質を向上して製造してきてくださった方々は、突然のこの方向変換に、生活そのものを脅かされているのではないかと心配です。
ただでさえ、この感染症で仕事を失っている人が多い状況なのに。
生活の変化を丁寧に見ていけば、ひとりひとりの意識や行動は変化して、社会全体で環境に負担をかけないようにという方向になっていると思います。
なんだろう、エコ運動にいまひとつ気持ちが向かないのは、生活の中で地道に築いてきたものを簡単に否定され、壊されていくことでしょうか。
まるで「何も考えていない人を啓蒙するのだ」という目線に。
正義感と理想に後押しされた時というのは、おもしろいほど知識が増えて社会が見えたような気になるものです。
それは私自身がそうだったと赤面するのです。
ところがその感情で「社会を変えなければ」と行動すると、長い時間をかけて築いたものを簡単に壊すことになると想像できないのかもしれません。
こまかな歴史を知らずに、社会の全体像が見えないまま理想論に走っているからと言えるかもしれませんね。
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