醒ヶ井から東海道本線に乗って、どこで途中下車するか、計画段階もまた楽しいものでした。
関ヶ原で一旦東海道本線を降り、バスを乗り継いで、揖斐川支流の牧田川沿いに大垣へ出る案を考えたのですが、バスの本数が少ないのでこれは無理そうでした。
やはりいつもは新幹線で通過してしまう地域の、東海道本線の車窓の風景を見ることにしました。
どこで途中下車するか。
ふと大垣市内の「水門川」に目が行きました。大垣城の堀のようにも見えます。マップの大垣八幡神社をクリックしたら、「大垣の湧水」という言葉が出てきました。
大垣市、よく見ると揖斐川の支流やその水路が街の中を縦横無尽に流れています。
木曽三川の中流にこんなところがあるのだと、初めて目に入りました。
*養老線で揖斐川沿いを走る*
大垣駅に到着して、まず養老線に乗りました。揖斐川がつくり出した地形を眺め、終点の揖斐駅で堤防近くまで歩いてみようと思いました。
前日とはうってかわって梅雨の合間の夏空です。大垣駅を出るとじきに住宅地と水田が広がりました。ずっとはるか向こうまでみえます。稲をみているだけでもう幸せな気分です。
帰宅してから読んだ揖斐川の語源に、「水田へ水をひく『井樋』(イビ)から名付けられたとみられる」と書かれていました。
揖斐駅に到着した時には暑さもあって、そのまま折り返し運転の列車に乗ることにしましたが、ふと案内板を読んで30年ほど前の記憶とつながりました。
1990年代半ばにダムをみて歩いたり、ダムの建設地となった地域の記録映画を観ていた頃に、増山たづ子さんにもお会いして話をうかがったことがありました。
案内板に描かれていた徳山ダムやこの流域の風景を、写真に撮られていたのですね。
*大垣市内を歩く*
駅を出て水門川沿いに歩くと、突如として「奥の細道」の表示がありました。
文学には疎いので、「芭蕉が『奥の細道』の旅を大垣でむすんだ」ということを初めて知りました。それにちなんで、句が水門川のあちこちに記されているようです。
ここに芭蕉の友人や門下生がいたことが理由のようで、このあと水門川をくだり桑名へ出て江戸へ戻ったことが「奥の細道むすびの地記念館」のサイトに書かれていました。
昨年、偶然、この辺りを芭蕉が通ったらしいというところを訪ね、これも水が取り持つ縁かもしれませんね。
大垣八幡神社には湧き水があって、汲みに来ている人がけっこういました。水門川をぐるりと歩いて、途中から街の中を歩きました。昔からの水路があちらこちらに残されています。
また、地下水が豊富で自噴している場所も多い。揖斐川、杭瀬川、水門川をはじめとする多くの河川とあいまって、大垣には「水の都」の異名もある。豊富な地下水は大垣市の上水道の水源であり、地下水を生かした菓子などの食品づくりも盛んに行われている。かつて繊維産業が多かったのも豊富な地下水を生かしてのものであった。(Wikipedia、「大垣」より)
芭蕉が訪ねたころの大垣には、どんな水の風景があったのでしょうか。
大垣の年表を見ると、大きな水害が何度もあったようです。
地図で素通りしていた場所も、こうして途中下車するといろいろな歴史がつながって興味が尽きないですね。
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