気持ちの問題 63 公共の場の落書き

9月26日から渋谷駅の玉川改札が閉鎖され、いよいよ東急東横店西館が取り壊されるようです。

1970年代終わり頃から、渋谷近辺をよく利用しているので、3月末に東急東横店が閉店した時にはぽっかりと心に穴が空いた気持ちでした。

ちょっと古い天井や壁も年月とともに重みを増してきたのに、無くなってしまうのですから。

 

改札が閉鎖される2〜3日前でしょうか、その東急東横店西館のJRへ向かう通路の壁一面にペンキで落書きがされていました。

 

その日は一日中、その落書きのことを思い出しては、ふだんは温厚な私(本当です)もずっとはらわたが煮え繰り返るような気分でした。

私の渋谷の40年ほどの記憶を汚された気分ですし、デパートで働いてきた方々や、一日中たくさんの人が通る合間を縫うようにいつも駅通路をきれいに清掃していた方々も嫌な思いになるのではないかとか、自分の職場に排泄されたような感じでしょうか。

 

もうじき取り壊しだから、何をしてもよいと思って落書きしたのでしょうか。

それとも話題になると思ったのでしょうか。

私にとっては、あの東横店と通路の風景の記憶に落書きが書かれたものになって残ることになりました。

 

でもきっと、そういう不快感を他人に起こさせて愉快がるのが落書きをする人たちの目的なので、それに乗せられるまいと気持ちを整理しようとしました。

あるいは、不快感だけではなく賞賛してくれる人もいるから、背中を押されるのでしょうね。

 

そのさらに数日ぐらい前でしょうか、じきに取り壊しになるホテルの室内を子どもに開放して、壁に好きなだけ落書きをさせるというニュースを見ました。

子どもは「楽しかった」と言い、親も「家ではこんなことできないのでよい機会だった」と言っていました。

そこで働いて室内をきれいにしていた方々はどうなのだろう、と気になっていました。

私だったら、最後まできれいな部屋でとりこわして欲しいですから。

それが自分の仕事に対する矜持ではないかと。

 

公共の場所に落書きをしても「社会に対するメッセージ」とか「芸術的」と持ち上げられる人が出てきたことも私は納得がいかないのですが、この気持ちをどのように整理したらよいのだろうと、行きつ戻りつ考えている最中です。

 

 

 

 

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