あちこちで名前を見るようになったヨハネス・デ・レーケですが、「これは川ではない、滝だ」との有名な言葉が、デ・レーケの言ったこととして残されていったのは、当時の伝達や記録の未熟さだけでなく、人の心にある「偉人伝」を作りたいという気持ちだったのかもしれないと、勝手に想像しています。
私の子どもの頃は子ども向けの本というと、わずかの百科事典や図鑑、そして偉人伝とか「○○物語」といった伝記や昔話が多かったような記憶があります。
そして、すごい先進国のアメリカをイメージしていました。
実際に 20代初めの頃にアメリカを旅行して、日本とは比べ物にならない経済的に豊かなアメリカに衝撃を受けました。
そしてアイルランド系のアメリカ人の友人たちと出会い、ジェンダーとか人権といった感覚も常に先に行く、やはり日本は足元にも及ばない差があると思っていました。
で、最近の大統領選の論戦のニュースを見て、アメリカの理想像が崩れ落ちるほどのショックを感じています。こんなに幼稚で汚い言葉で罵り合うのが大統領選なのかと。
多民族で多くの価値観にあふれる葛藤の中から、人類に普遍的ななにかを他の国に先駆けて示してきた国だというイメージが崩れ去ったのでした。
*偉人とか立派な業績の一面に圧倒されなくなった*
アメリカに対してだけでなく、日本の「有名な人」「社会に影響を与えてきた人」「偉業を残した人」「ノーベル賞を取った人」などに対しても同様です。
とりわけ、今回の新型コロナウイルス感染症で、えっと思うこともしばしば。
その分野では素晴らしい業績のある方でも、「どこまでわかっているのか」あるいは「わからないことは何なのか」がわかっている人なのかそうでないのか、あるいは知識はあっても、自分がわからないことが見えていない人なのか、というあたりが見えるようになってきました。
つじつまのあれこれのまとめに、こう書きました。
私が20代から30代だった頃、当時40代とか50代の自信にみちた助産師の話や、研究者という人たちの話や本を読み、その経験や思考に圧倒されていました。
ところが、その1980年代から90年代にかけて「これこそ正しい考え方。良い方法」と自分自身が没頭してきたことが、最近はかくもつじつまの合わない話に感じてしまうのはなぜだろう。
たぶん、自分が一つの仕事を続けてきた中で、自分自身がわからないことを認めることで視野が広がったことも理由かもしれません。
もちろん、すごい業績は業績ですが、必要以上に自分自身の業績を大きく見せようとする人には、きっとその人にもわからない世界がたくさんあるはずと確信できるようになったので、立派そうな人が言うことだからと信じ込まなくなったこともあるかもしれません。
1990年代ごろからのパターナリズムからの大きな変化を経験したことも関係があるかもしれません。
ちょっと成長しました。
デ・レーケについても、偉人伝という作り上げられた物語ではなく、実際に何をしたのかという事実を興味深く感じています。
そして当時、デ・レーケと出会った人たちはどんな人たちだったのだろう。
主人公だけでなく、ひとりひとりの存在が大きく感じられるのです。
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