再放送があるとついつい録画して観ている「相棒」と「科捜研の女」です。
なんども観たはずなのに、いつも「犯人は誰だったっけ?」とストーリーを忘れている自分に愕然としています。きっと現実と妄想(想像)の世界を切り替えるのが苦手なのでフィクションは頭に入ってきづらいから、ということにしておきましょうか。
「科捜研の女」と「相棒」はそれぞれ1999年と2000年に放送開始になったようですが、最初の頃のシリーズを観ていると、時代の変化を感じる場面があります。
最初の頃は、刑事や鑑識、科捜研役の人が布の白手袋だったのが、いつ頃からかディスポのゴム手袋あるいはプラスティック手袋になっていることです。
布の白手袋で榊マリコさんがご遺体に触れている場面を観ると、「布だと血液や体液に触れてしまうことになるのに」「あの手袋は消毒してまた使うのかな」とつい余計なことを考えて気が散ってしまいます。
あくまでもドラマの中の設定ではありますが、1990年代半ばに医療機関では院内感染標準予防対策からディスポ手袋が使われ始め、ついで食品関係でもぼちぼちと広がり、2000年代には警察でもディスポ製品へと切り替わったという感じでしょうか。
*基本に忠実に、かつ教条的にならない*
あの院内標準感染予防対策が日本の医療現場に広がって四半世紀といったところですが、最初の頃は、私は「守るべき掟」のように受け止めていました。
ところが、「血液・体液に触れる可能性のある場合には必ずPPE(個人防護具)を装着する」「使い捨て(ディスポ)製品を使用する」となると、膨大な医療廃棄物がでますし、その製品の購入から廃棄までにかかる費用も具体的にどれくらいかは施設にもよると思いますが、相当な額になることでしょう。
最近ではこうした基本的な医療用品が手に入らないだけでなく大幅に値上がりし、さらに10%の消費税も容赦なく医療機関にのしかかっていますしね。
「決められていることだから」「でもそこまでしなくても」というせめぎ合いが、現場の葛藤なのではないかと思います。
今回の新型コロナの感染拡大で、感染標準予防対策もまだまだわからないことの上にたつ目安にすぎないという理解に変わりました。
マスクやディスポ手袋が足りなくなればそれなりに対応せざるをえないですし、実際に院内感染の報告では手袋やマスクをしていなかったというよりは、「休憩室などの狭いところで会話をしていた。一緒に食事をした」「スタッフが共有するキーボードなどからの接触感染」といった理由をみると、やはり「一手技一手洗い(あるいはアルコール消毒)」であり、自らも飛沫を飛ばさないように注意するといった基本的なことなのだろうと思えます。
1990年代後半以降に医療の教育を受けた人たちは、当たり前のようにさまざまな場面でディスポ手袋を使っています。
驚くのは沐浴とか新生児のオムツ交換をするときにもその都度、ディスポ手袋を使うスタッフもいます。たしかに「血液や体液に触れる可能性のある」場面なのですが。
ところがそういう教育を受けていても、一手技一手洗いを実践できているスタッフが少なくて、衛生的に調乳を実践できていないこともあり、知識のアンバランスを感じることもしばしばあります。
昨日の基本的な知識が肝心という内容と矛盾するようですが、基本に忠実にすることと教条的にならないことは大事ではないかと思うことが増えました。
まだこの感染標準予防対策が取り入れられて四半世紀ですから、それがなかった頃を知らない世代とそれしか知らない世代間が混沌としている社会とも言えるかもしれません。
「相棒」や「科捜研の女」の1シーンから、そんなことを思いついたのでした。
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