新座市民総合体育館にあった玉川上水から野火止用水の全体図をみると、水路は新河岸川へとつながっています。
もう一度、野火止用水を読み直しました。
野火止用水(のびどめようすい、のびとめようすい)は、東京都立川市の玉川上水(小平監視所)から埼玉県新座市を通り新河岸川(志木市)に続く用水路である。
野火止用水についても知識はあいまいで、このたった1文も読み飛ばしていました。
多摩川から武蔵野台地に水を引いていたくらいのイメージで、その水は台地のどこかで吸収されて終わっているのだと思い込んでいました。
多摩川の水を武蔵野台地を横断させて、そして荒川の手前に流れる新河岸川まで流していたのですから、どうやって水が滞ることの無いような場所を見極めて開削したのでしょうか。
江戸時代の1655年ですからね。
新河岸川は、2018年に三園浄水場の近くを歩いた時に初めて歩き、今年に入って朝霞の氷川神社を訪ねた時にもそばを歩きました。
「新河岸川」という名前から人工的に造られた運河だと思っていたのですが、元は川越から流れてくる荒川の支流であったことをこの時に知ったのでした。
現在の地図を見ても、荒川右岸の川越から和光市あたりは、荒川や新河岸川の河道が安定していなかった頃を思い起こさせるような蛇行した小さな河川や沼が描かれています。
体育館にあった全体図では、江戸時代の頃はもっと複雑な川の流れのようでした。
はるばる多摩川から荒川付近まで水が溢れる場所から水の無い場所へと水を引いたり、昔海底だった関東平野ではあちら立てればこちら立たずの治水・利水の歴史が、この野火止用水の全体図から読み取れます。
この新河岸川付近の野火止用水の跡を見てみよう、数日後にまた出かけてみました。
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