行間を読む 98 「地図と地球儀」

さまざまな記憶をたどるために遠出をしてみたり、20代の頃から影響を受けていた本を読み直したりしています。

 

犬養道子さんの「歴史随想パッチワーク」(中央公論社)は2008年に出版されたもので、まだ読んだことがなかったので購入したまま日が過ぎてしまいました。

最近、積ん読が増えました。

 

先日そろそろと思ってパラリと開いたら、「地図と地球儀」という章が目に入りました。

犬養道子さんも地図や地球儀を眺めるのがお好きだったことを初めて知りました。

地図を見るのが好きである。観光客呼びよせ用の名所名物の絵の入れられているような地図ではない、ほんとうの地図。そういう地図は見てくれる人を待っている。見るだけでなく、自分の話を聞いてくれる人を。地図は大変なおしゃべり好きなのである。そして実際、汲みつくせないはなしの泉を、太古から今までずっと待つ。この泉から湧き出る流れが「歴史」を生みそだてるのだ。 

 

犬養さんも地図と地球儀が好きだったのだと嬉しくなって読み始めたら、「観光客呼びよせ用の名所名物の絵の入れられているような地図でない、ほんとうの地図」の一文で、犬養さんらしいなあと思いました。

20代の頃の私だったら、この文章をそのまま受け入れていたかもしれません。

 

その章の後半で、以下のように書いています。

このごろ、「一般の、とりわけ若い人々の、歴史感覚が乏しくなった」という声を折にふれて耳にする。当たりまえ。地理「地図」と歴史を別々にしてしまったのだから。 

たしかに犬養道子さんは、ヨーロッパで神学を研究されて世界の歴史に精通されていらっしゃったので、それに比べれば一般の人は「歴史感覚が乏しい」ように見えるかもしれませんね。

 

「地図と地球儀」ひとつとっても、「現代」とはいつのことかと感じるほど、同じ時代に生きていてもこれだけ感じ方が変わるのかと思いました。

 

私は、駅前や観光案内所などの目的別のコースを示した地図なども大好きですし、その地域の歴史や生活がわかってよくできていると感動しています。

何より、いかなる地図も主観であるわけですし、完璧な地図はないですものね。

 

ただ、1921年(大正10)生まれの犬養道子さんはひとりヨーロッパで暮らし、聖書学を研究し、そして難民問題などに切り込んでいかれ、その行動力と考え方が社会へ、女性の生き方へと多方面に大きな影響を与えたと思っています。

こうした犬養さんの時代の知識層と言われた人たちの「知識」への厳しい考え方があったからこその現代でもある、と言えるかもしれませんね。

 

犬養道子さんに出会って40年ほどの間に、私も少しその行間を深く読めるようになってきたでしょうか。

 

 

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