水の神様を訪ねる 27 柳瀬川と氷川神社

感染者数増加で遠出ができなくなった昨年12月は都内近郊の散歩をしましたが、12月中旬に柳瀬川沿いにある2カ所の氷川神社を訪ねた記録をまだ書いていませんでした。

 

柳瀬川は水子貝塚を訪ねた時にも渡りましたが、そのあと11月に新河岸川との合流地点も歩いています。

昨年、夏に乗った武蔵野線沿線を地図で辿っていた時に、東所沢駅の南東に長細い森と氷川神社があることに気づき、いつか訪ねてみようと思っていましたが、その近くを流れているのが柳瀬川です。

 

そこから下流に向かって3kmほど歩くと、柳瀬川右岸にも氷川神社があるようです。

二つの氷川神社を訪ねてみようと出かけました。

 

氷川神社から金山調節池へ*

 

日の入りが早い時間ですから、12時過ぎに家を出ました。途中でお昼ご飯のおにぎりを購入しようと立ち寄ったら行列で10分ほど待ち、さらに列車が遅れていて、予定より30分ぐらい遅く武蔵野線に乗りました。

 

昨年夏に東所沢駅を通過した時に、駅ホームが切り通しの中に造られていたことが印象にありました。

その手前の新秋津駅との間に柳瀬川が流れているはずですが、武蔵野線はその間はトンネルになっていて川よりも深いところを走り、そこから河岸段丘を突き抜けるように東所沢駅まで地下を走っているようです。

なんだかそれだけでも圧倒されてしまいました。

 

駅から地上に出ると、台地の上という雰囲気で畑が広がり、地図にあった雑木林が柳瀬川に沿ってあるのが見えます。

そこが河岸段丘のヘリだろうと想像がつくのですが、不思議なことに、川の方に向かってせり上がった地形です。

そして地図の通り、柳瀬川のそばへと降りるには1本しか道がなく、そこも切り通しと思われるような場所の間を下り坂になっています。左側には東福寺の大きな仏像と敷地があり、右側は竹やぶの崖が続く道を下ると、そこには東所沢駅周辺の街とは全く雰囲気の違う、昔からの集落が広がっていました。

 

蛇行した道をしばらく北東へ歩くと、最初の氷川神社が少し小高い場所にありました。

ただ、その後ろはあの雑木林なのですが、傾斜が結構あるので、そのまま上の台地には行けそうにありません。昔はこの辺りの集落と、現在の東所沢駅周辺は隔絶されていたのではないかと想像しました。

 

ここから、また少し緩やかな下り坂のそばには畑が広がり、柳瀬川があります。

そこにある清瀬金山緑地公園でお昼ご飯を食べました。

 

その公園の下流側には金山調節池が広がっています。ここは「東京湧水 せせらぎ散歩」で知りました。

大雨の時に柳瀬川の水を一時的に流入させて氾濫を防ぐための施設である。

この調節池にも湧水が見られる。

先を急いでいたので、残念ながらこの湧水は見ることができなかったのですが、険しい段丘の下にある地形を実感しました。そしてそこに氷川神社が祀られたことも。

 

柳瀬川駅まで歩く*

 

橋を渡って、ここからは柳瀬川右岸側の遊歩道を歩きました。

柳瀬川の河川敷には、アウトドア用の椅子を持ち込んでのんびりと川を眺めたり、バーベキューをする人の姿が多くありました。

 

この辺りは両岸の小高い場所に挟まれているのですが、右岸側の川のそばには清瀬台田住宅の団地がありました。1972年築のようですから、防水堤のような役目があったのかもしれませんね。

 

次第に遊歩道を歩く人の姿も少なくなり、右手に滝野城址公園が見えて、武蔵野線の下をくぐりました。しばらくすると関越自動車道にぶつかり遊歩道が忽然と終わったのですが、自動車道の反対側へと渡る道は、柳瀬川からかなり離れた場所まで迂回する必要がありました。

関越自動車道の反対側はそれまでとは違う平地が広がり、南側の高台を武蔵野線が走っていました。

もしかしたら、関越自動車道自体もこの河川敷に広がる平地を水害から守る堤防になっているのでしょうか。

 

目指す二つ目の氷川神社は、予想とは違って畑の広がる川沿いの平地にありました。

そしてその向こう側には、柳瀬川の堤防が高くそびえていました。

ここからは堤防の上を歩き、柳瀬川駅まで歩きました。

 

今回の二つの氷川神社は由来がわからなかったのですが、どんな思いでそれぞれの場所に祀ったのでしょうか。

 

 

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