水のあれこれ 159 村山貯水池と山口貯水池

1990年代半ば、武蔵嵐山にある国立女性教育会館でシンポジウムか研修があり、その時に初めて東武東上線を利用し、途中、柳瀬川を渡った記憶があります。この頃は、川の名前も、どこから流れてくるかも関心がまだあまりない時期でした。

 

その次は、2019年に武甲山へ行った帰りに東武東上線の車窓から、広々とした河岸にのんびりと水を求めて遊んでいる人が多い川が見えました。帰宅してから、柳瀬川だと知りました。

水源は秩父のどこだろうと地図で辿って、初めて山口貯水池であることとつながりました。

 

東京都西多摩郡瑞穂町大字石畑字御逹間ならびに埼玉県入間市大字宮寺字金堀沢の狭山湖水道用地内の大沢・金堀沢(これら以外にも名前のない沢が複数存在する)に源を発し、狭山湖を経た後ほぼ都県境に沿って(上流の金堀沢もほぼ都県境に沿って流れている)北東へ流れ、東京と清瀬市下宿で清瀬水再生センターの放流を受け入れ、埼玉県志木市新河岸川に合流する。狭山湖の湖底には現在でも川の旧流路が残っている。

Wikipedia「柳瀬川」「地理」より)

 

なんと、都民の水がめではないですか。

現在は多摩川水系は19%で、それ以外は利根川水系荒川水系からですが。

 

いつか歩いて見なければと思っていたところ、昨年夏に西武多摩湖線と西武山口線に乗って下見をすることができました。

 

*二つの貯水池*

 

玉川上水に関心が出始めた30年ほど前、この東京の西部にある二つの貯水池から東村山浄水場、境浄水場を通じて自分が毎日使用している水がきていることを知りました。

 

それ以来、地図にある二つの水色のダム湖をよく眺めていたのですが、実はいまだになぜそこに隣接した二つのダムがあるのかという歴史どころか、山口貯水池(狭山湖)と村山貯水池(多摩湖)の4つの名称が混乱したままです。

 

村山貯水池(多摩湖)が1927年(昭和2)に造られ、そのあと山口貯水池(狭山湖)が1934年(昭和9)に造られたようです。

そのどちらも、「東京市の人口増加に対応した水源確保」のためでした。

 

村山貯水池はこのあたりの狭山丘陵が「内部がすり鉢の窪地のため」選ばれたようです。

完成当初は多摩川の水を羽村取水堰で取り入れ、導水管にて村山貯水池に導いて貯水し、ここから境浄水場へ導水して浄水処理を行い、和田堀浄水池・淀橋浄水場を経て東京市内へ給水された。

Wikipedia「村山貯水池」「施設」より)

 

それに対し山口貯水池(狭山湖)は「狭山丘陵の柳瀬川侵食谷を活用して造られた」もので、住所は埼玉県入間市ですが東京都の水道施設だそうです。

山口貯水池は多摩川羽村市)の小作取水堰(小作・山口線)及び、羽村取水堰羽村線)からの導水を主要な水源としているが、一部金堀沢・大沢などの天然の湧き水が流れ込む。湖の水は東村山市の東村山浄水場武蔵野市の境浄水場へと導かれ、東京都の上水道として供給される。

Wikipedia「山口貯水池」「概要」 

 

昨年夏は、あまりの暑さに湖に近づくこともできずに引き返しました。そして狭山自然公園内に氷川神社があったのに気づかなかったという、痛恨のミスに涙をのみました。

 

ということでリベンジで歩いてみようと、12月半ば、柳瀬川を歩いた翌日に出かけてみました。

 

 

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