羽村からの導水管に沿った道を歩いて満足したのですが、やはり横田トンネルを見てみたくなり、また出かけました。
どこから歩こうかと地図を眺めていると、残堀川沿いから導水管のある方向へ向かっていた時に通った阿豆佐味通りが気になりました。
阿豆佐味天神社がありその参道だということがその時にわかったのですが、狭山丘陵の山裾にその阿豆佐味天神社を挟んで、二つの須賀神社があるようです。
この辺りはどんな風景なのだろう、そして残堀川へと小さな水路がいくつも描かれているのはどんな感じなのだろう。
今回は狭山丘陵の山裾沿いを歩いてみることにしました。
*立川駅からバスで殿ヶ谷まで*
2016年ごろからあちこちを歩くようになって、立川駅行きのバスを利用することもあったのですが、大概は夕暮れから日没後でしたからあまり風景は見えませんでした。
1990年代には時々利用していた立川駅ですが、久しぶりに降りるとなんだか大都会になっていて驚きました。
立川ー上北台駅の多摩モノレールが開業したのが1998年ですが、それ以前の風景は畑が広がる場所も多かったので、本当にこの場所にモノレールが必要なのだろうかと訝っていた記憶があります。
この日は、箱根ヶ崎駅行きのバスに乗りました。
モノレール沿いに大きな商業施設が立ち並び、かつての「近未来の都市」の風景です。
平和記念公園を過ぎると、まっすぐに自衛隊や消防・警察、海上保安庁の施設が続いています。
立川と聞くと、子どもの頃から詳細は知らなくても耳にしていた砂川闘争を思いだしていました。1990年代はすでにそんな雰囲気はなかったのに、あの頃は、立川の北側の地域を通過する時にはちょっと緊張していました。
ここに自衛隊・警察・消防・海上保安庁の施設がまっすぐの道に沿って建っている理由が繋がったのですが、その間の歴史や変化は私の中では空白のままだと思いながら、車窓の風景を見ていました。
防災館を過ぎると忽然と雑木林が現れ、畑や住宅地が広がり、バスは五日市街道にはいりました。
ところどころ雑木林が残り、緩やかに道が高くなったところに玉川上水が流れ、金比羅橋があります。
橋の上にさしかかったところで、ちょうど信号待ちになり、しばらく玉川上水の水面を眺めることができました。
周囲には畑やビニールハウスがあり、この玉川上水とともに農業を営んでこられた方々でしょうか。
武蔵村山にさしかかると左手に広大なグラウンドがあり、その向こうに真っ白な富士山が大きく見えていました。
1990年代の立川駅では、日曜日の朝になると南口にひとつの大きな人の流れができて、とある宗教施設へと向かっているらしいことを知りましたが、その所有のグラウンドのようです。それ以降の時代の変化も、この地域の歴史も、私には空白のままです。
郊外に向かう道路なのに、次第に渋滞してきました。
大きなショッピングモールがあり、幾つもある駐車場が埋まっています。そこへ向かう流れのようでした。
その向こうに残堀川がありバスでその上を渡りましたが、先日上流で見た水の流れがまったくない、瀬切れの状態でした。
商業施設を越えて青梅街道に入ってからも、渋滞は続いています。
バスは10分ぐらい遅れて、殿ヶ谷のバス停に到着しました。
ここから、横田トンネルまで歩きます。
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