記録のあれこれ 92 小学校の記録

村山貯水池からの水路をたどった時に回田小学校のそばを通過したことを書きました。

この時に「めぐりた」と読むことを知っていたのは、あの小平の小さな氷川神社のある場所で知ったからでした。

 

Wikipedia の回田町の「地名の歴史」をもう一度読み直すと、「新田(当時は畑)の開発の段階で、廻り田村(東村山)に売り渡されたことに由来する」「享保11年(1726)野中新田の採草地を東村山廻り田村から土地を購入し、巡り田(回田)新田が成立」とありますから、この回田小学校がある地域が、もともとの巡り田という地名だったようです。

 

「回田小学校60周年」とあるのは、西武線沿線の開発で比較的新しい地域だと想像していたのですが、もっと歴史があるようです。

 

*回田小学校のホームページ*

 

俄然、回田小学校の歴史に興味が出て、検索しました。最近は各学校にホームページがあるのですね。

「回田小学校の沿革」が書かれていました。

明治初年 第一大学区神奈川県管内第八中学校区多摩郡回田村第135番小学暗 

     明学舎と称した。 

明治9年 暗明学舎を回田学校と改称。

明治27年4月 東京府編入される

 最初は神奈川県だったのですね、この辺りは。

「東村山町回田小学校として独立」したのが昭和35年で、これが「60周年」の意味のようです。

 

あの散歩の途中で通過した北山小学校は、この回田小学校から昭和52年に分離した新しい学校だったようです。北山小学校のホームページを読むと「昭和47年 用地取得委員 北山公園の一角に建設」とありました。人口が増えて、小学校が足りなくなっていったのでしょうか。

 

私が小学生の頃には各学校のホームページなんてもちろんなかったのですが、それ以外にも小学校の変遷にちょっと驚きました。

「昭和63年7月  アメリカ合衆国グレンデール小学校との姉妹校提携記念式典挙行」なんてあります。

 「平成4年5月 校庭・プール竣工」とありました。全国の小中学校の7割以上にプールができた時代ですね。

 さらに、「平成26年9月 オリンピック金メダリスト受賞(水泳)柴田亜衣様による授業・講演」とありました。あの柴田亜衣さんの泳ぎを間近に見られるなんてすごいですね。

 

 

私が5年生まで通った小学校の歴史が気になり、検索してみました。

ちゃんとホームページがあり、明治初期に造られた学校だったようです。

寒冷地でプールがなかったのですが、30年前にはプールが造られていました。

そして平成に入ると「パソコン研究校」になったと記されています。まだ総合病院でようやくパソコンが導入されたばかりの頃です。へ〜っと驚きました。

 

自分の学校の歴史をこうしてホームページで知ることができるなんて、考えたこともありませんでした。

いい時代ですね。

 

 

「記録のあれこれ」まとめはこちら