散歩をする 278 つりがね池公園から仙川へ

地図を拡大しながらまだ行っていない場所を探していると、見逃しそうなくらい小さな水色の場所を見つけました。

砧公園方面へ谷戸川を辿った時に降りた祖師谷大蔵駅の、反対側にあるつりがね公園です。

 

子どもの頃から結構利用している小田急線沿線なので、すぐに「あの団地が見えるあたりだ」とわかりました。

といっても、小田急線の高架化によって沿線の風景を見渡せるようになってからなので、環八から西側へ団地があることを初めて気づいたのが1990年代終わり頃でした。

 

地図を見ただけで、仙川に向かって小さな湧き水があるのだろうと想像がつきます。

再び、祖師ヶ谷大蔵駅に向かいました。

 

*つりがね池公園*

 

駅を出て祖師谷通りという長い商店街を歩きます。八百屋さんとか豆腐屋さん、魚屋さんなどが残る懐かしい風景です。団地や住宅が多いので、狭い道をたくさんの歩行者や自転車、そして車も行き交っていました。

 

この祖師谷通りをまっすぐ北へ向かうと、途中から千歳通りになり、あの粕谷地蔵尊にぶつかるようです。

この祖師谷住宅は1956年(昭和31)から建設が始まったそうですが、当時、この辺りは畑に囲まれた場所だったでしょうから、まだどちらかというと水の供給が大変だったかもしれませんね。

 

商店街が途切れるあたりで、左へと曲がると神明社があり、その辺りから下り坂です。

住宅もそれまでの平地に建てられていたものから、基礎部分が崖になっている要塞のような趣になりました。

 

その先に雑木林が見えて、目指すつりがね池公園です。

やはり崖の下の湧き水のようで、こんな説明がありました。

釣鐘池は、標高凡そ四十五メートルの武蔵野台地に囲まれ、昔は深い自然林に覆われていて、野川の一支流である西方の仙川に注ぐ豊富湧水池であった。

台地上には、この水を求めたであろう古代の人たちの遺跡である縄文時代中期の住居跡が、昭和五十二年(一九七七年)の区教育委員会の発掘調査によって確認されている。

かつて、この池でこどもたちは小魚をとり、水遊びを楽しみ、人々は生活の水を求め、野菜などを洗い、洗い場組合をつくって水を大切にし、神様をお祀りしてきた。

毎年四月七日には、今も弁天祭が行われており、また、日照りの時には、雨乞いの行事も以前あった。

伝説によると、近くにお寺があり、他教との争いの挙句僧が寺の鐘を被ってこの池に身を投げたとか、あるいは日照りで農民が困ったとき、これを救おうと僧が釣鐘を抱いて池に身を沈めたところ、たちまち大雨が降った、などといいつたえ、それ以来「釣鐘池」と呼ばれるようになったという。

 

住宅に囲まれていますが、竹やぶがあり、静かな池です。

 

そこから仙川へ向かって流れている水路沿いを歩き、以前歩いた仙川の遊歩道から祖師谷公園を抜けて仙川駅まで歩きました。

 

途中、至誠会第二病院がありますが、1990年代のこの辺りはまだまだ畑が広がっていた記憶があります。

帰宅してから航空写真で確認して見ましたが、畑はわずかに残るだけでした。

 

30年という時間の変化を感じながら、帰路につきました。

 

 

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